柄を握り、一振りの刀に内在する未曽有の力を吸い上げる。
掌を吸い口として身体中の血管に劇薬のような力が流れ込む。
何事も繰り返せば慣れるのが人間の特性であり、血が沸騰して発火していくような感覚も然りである。


 龍切の力は確実に清香の血に混じりつつあった。元より適性があるのだ、慣らし(・・・)さえ怠らなければ当然そうなる。だがそれだけで能力の極みには到底至らない。


ただの業物、下の大業物ならばちょっとした慣らしを行えば適性次第ですぐに極みに達する。しかしそれ以上に強力な大業物あたりからは器としての適性に加えて、使用者の精神的な強度が求められてくる。
言い換えれば個としての骨格の頑強さが必要となる。力は振るう為にあり、武力とは根源的に破壊の衝動に脈打っている。上位にある月器のそれは常人の統制下に置けるものではない、形状の醜美など問題ではないが、とにもかくも精神が堅牢であることが必須条項なのである。


 しかも乙女盛り、清香の繊細な手が握るは天魔の暴虐を秘める神剣である。多少慣らしたとて、それは龍切の力の総量でいえば三合目が精々である。
未だ本領へは至らず、武力でいえば清香という一個も甚だ未完のままである。
麓にて本山を見上げ、鳥居をくぐらずにいる決定的な半端者。本殿を前に尻ごみする決意半ばの半人前。それが清香の現状である。神剣を扱うに於いて充分な資質は生まれながらに備えど、それを行使する精神がまだまだ未熟。
そこ(・・)から先へ進むには生中でない覚悟が必要であると本能が理解していた。



(ここからさらに力を汲み上げることで龍切の真価が発揮されるのでしょう)



 立ち入ったことが無くとも、一歩先に渦巻く力場の凄まじさは清香のか細い精神を震え上がらせ、ただそれを前にするだけで躊躇に足を凍らせるに充分であった。
その中へ踏み入ることは異界の霊山に踏み入るにも似て、禍々しくも神々しくもあり、要はある意味において人間を捨てる覚悟を強いるのである。


 清香の精神は弱い、か弱い。
常に強くあらんと欲し、その思いもまた本物であるにしてもまだまだ柔弱である。黒く悪い風の一凪ぎで乙女の細首にも似たその繊細な精神はぽきりと圧し折れるやもしれないのだ。だがもう尻込みしているわけにもいかない。誰よりも清香自身が強くその思いを抱いていた。



 清香の前方には白命が立っている。



 徒手、ではない。御披露目でも使用していた忍刀を手にしている。
そして清香もまた龍切を手にしており、明らかに武による対峙である。事の成り行きは簡単で、一言で言えばこれは《稽古》である。


 以前の晩、白命が清香のもとを訪れた時、清香は一度、いや可能ならば二度でも三度でもと稽古を願い出ていたのである。『手合わせ』と言わないところが清香による実力差への主観を非常にわかり易く表している。
ある程度の実力の拮抗さえ無いとの思いが『稽古』という言葉での嘆願となって発せられたのである。もとより白命の完成された武に憧憬に近いものを感じていた清香であるが、加えてさらに今では信頼する同士であり、同じ師を持ったでもないにかかわらず、どこか姉弟子かのような印象を持っていた。


 そして白命も清香のその申し出にすんなりと応じた。実を言えば清香がそのような申し出をしなかった場合、白命から似たようなことを言うつもりであったのだ。
もちろんかぐや本戦において清香に協力するとの言葉は嘘ではない。だがさすがに白命もずっと清香についているわけにもいかない。そして当日は間違いなく清香が想像している以上の
混戦(・・)になるであろう。


咲夜経由の情報で業物衆の介入もあると聞けば、今の清香の武力では心許ない。
事を始めるよりも早く、くだらない油断で死んでもらっては仲間にすると決定した以上は困る。その為にある程度の武力の底上げは火急の案件であった。



「どうした、いつまでそこで立っているつもりだ。やる気が無ければ止めてもいいんだぞ」



 白命が言うと清香、


「いえ!・・・そんなことはありません!」



 慌てて打ち消す。もちろんやる気はある。というより過剰に有る。
だが白命という巨大過ぎる才を前に清香ほどの使い手であっても攻め手を見出せずにいた。さらに龍切の力、それにどこまで手を付けるべきか、それにも迷いが生じていた。自分の現時点での上限がわからなくなっていた。ある程度であれば龍切の力を行使することは身をもって知った、だが力の全てを使うには到底及ばないことも知っている。ゆえにどこまでが安全域なのかに不安がある。そこを誤れば自我が飛ぶ。そしてそのまま帰ってこれないかもしれない。


 その逡巡を察した白命は助け舟を出した。もちろんそれは親切心からでなく、作業の遅滞を取り戻す為の行為でしかないのだが。



「力に呑まれてもわたしが止めてやろう。そこは案ずる必要はない。とにかくも打ち込んでくることだ。でなければ助言のしようもなかろう。とにかくここで立ち止まっている以上に無益なこともないだろうしな」



 確かに。それは言われずともわかる。だがその言はおよそ空論に過ぎない。

しかし白命のように例外的な力を持つ者ならば安全弁として作用するのではないか。そして今や白命を通してその背後には父の影すらも感じる清香である。


(実際、今この場こそ最も安全に龍切の本域へ踏み込むことができる好機かもしれません)


 白命を信頼すればこそ、彼女は思う。
そして覚悟を決めたように汗の滲む掌で柄を握り直す。丹田に力を込め、心胆重くし、錠前を外す
()もし(・・)とする。

 それを察し白命、手間の掛かると肩をすくめるような俗な仕草、発する精神そのものが欠けている。ただ清香の心の動きを見て、静かにそれに備える。



(では・・・いきます)



 清香は生唾を飲み込み、それが異界への呼び水かのよう、龍神の血を飲み干すかのように、その華奢な身体の内へ神威を流し込む。

 そして彼女は蓮月の歴史上でも多くて十数人、ごく一握りしか突入しえなかった神剣の領域へ足を踏み入れる。
それは固めた覚悟をも押し流す急変直下、蒼穹の昼から逢魔時の薄暮れに世界が暗然と変色、天の掌で地の底へ、はたまた水底へ打ち沈められたかのような前後感覚の突発的喪失。
そして一瞬の業火、炎の繭に包まれる。清香という人間が神炎の鋳型によって鋳造されるかのように流し込まれ、新しく鍛えられていく。
やがて真の心の臓が業火から生まれたよう、身中に神炎が宿る。体中を巡る血管に火焔が流れ、経穴からは火柱さえ噴き立つよう、身中から炎の海が溢れてくるかの、凄まじき力の獲得。
まず覚えるは恐怖。これは人が持つ力ではない。本能がまず理解を下す。そしてこの人間一己としての正しき畏怖を持ち得たこと、それこそ自我を保っている証拠である、



(・・・いける!)



 確証を得る。もとより神剣を行使する資格はあるのだ。
御披露目における実力不足の自覚。同士との一会。実戦の経験。およそ人と深く交わらずに生きてきた彼女がほとんど初めて交わす他人との、かぐや候補達との親交。そして父の生存と、その意思。それにより堅固になる覚悟の、言うなれば魂の強度。



(思ったより器は出来上がっているようだな)



 白命は認める。濃密な一日は安穏な一年にも勝る。御披露目より一月ほどしか経過していないが、神剣の受容体としての清香の器、見違えるほどに育っていることは間違いない。



(としても、その力は未だ5合か6合ほどか。神威を宿してはいえど、それそのものではない)



 白命は鋭く見極める。

 そしてそれはまったくもって正しかった。

 清香の精神が白命という保険を得ることで現状における最大を引きだしたのである。それは白命の推察通り龍切における5合目6合目。本域入って3合目、そして清香がいるは中腹。未だ頂きは遠い。だが、それでも、



(凄い・・・)



 咲夜と対峙した時の比ではない、身中沸き立つ力は皮膚をぼこと弾けさせるかのよう、すでに一種の臨界を思わせる。
もちろん自我も気を緩めれば異界へ引きずり込まれそうに危うい。
神域といえば聞こえ清澄なるが、実際に感ずるは巨大に渦巻く暴威である。
そこから伸びる腕、背後からそれに頭を掴まれているかのようですらある。が、清香の精神、その有り様は求道者の面が強い。危うければ危ういほど律する気持ちが強く働く。最初から丸呑みされない限り、その自制は強い。神剣・龍切の力、その5分6分を手中にしたといっていい。

 白命は腰に差す忍刀『隠形鬼』から手を離す。
そしてその手を大振りの鎖鎌、大業物の『豪鬼』へと伸ばす。

 これはあくまで稽古。
打ち合いが目的であり、であれば今の清香と打ち合うに隠形鬼では耐え切れない。
細かく階級分けすれば隠形鬼は『特殊中業物』に分類される。これはそれ独自の異能(透化、擬態能力等)こそあれ、強度そのものは頑強な業物程度、戦闘向きの大業物とも数合打ち合えば砕けてしまうものである、5分の力しか宿していないといえど神剣と刃を合わせるには役不足に過ぎる。

 そして代わりにその手に握るは強度も密なる豪鬼である。これは頑強さにおいて大業物の中でも隋一と呼べる硬度を誇り、全力でさえなければ神剣の威力にも充分耐え得る。



「準備はできたろう、来い」



 白命は無造作に構える。
半身になり、鎌の代わりに付いた巨大な刀身を胸ほどの高さに据え、左手は腰の高さで分銅を握っている。鎖鎌における中段の構え、それを受け重視に崩したものに見える。
そしてなによりその刀身。握りの付いた幅広の一枚刃。白命には不釣り合いにも映り、剥き出しの武威を示す。



「いかせてもらいます」



 圧威を感じないといえば当然嘘になる。だがいまさら臆して何になろう、清香も対して正眼に構える。そして白命目掛けて地を蹴る。

 それは地を割らんばかりの力強い踏み込みである、が、水の上を波紋一つ立てず渡ったように流麗な、高度に洗練された動きであった。
内在する力の桁は違えど状況は咲夜との立ち合いと同じである。前回は宿った力に頼った動きであったが今回は違う。宿りし力を培ってきた理合に融和させる。そうすることで踏み込み一つにも美が宿る。

 大気に身体が溶け込んだと錯覚させるほどの急加速の中、清香は龍切を上段に振り上げると、白命目掛けて右袈裟に振り下ろす。

 清香の刃、それは無論のこと逆刃などではない。
殺し合いをしたいわけでは当然ない、ただの稽古である。
が、白命相手に刃を向けるの向けないの、その危険をどうこう考えるなど傲慢に思えるほどに清香は白命に対し格下意識がある。卑下しているのではない、今までの接触によってそれは肌が、本能が、充分に理解していたからである。
だが本来ならば清香、であればこそ迷いなく、ほとんど無意識のうちにも逆刃にしたろうが、それは神剣を行使する影響か、刃を向けていた。

 しかしそれは結局のところ何の杞憂にもならないのである。
清香の斬り込み、その斬撃が対象を切り裂くべく最も力を宿す瞬間、体重が乗り切る一瞬前、機先を制すように白命は豪鬼で龍切を弾く。



(さすが!)



 神剣の力などまるでものともしない。
確かに単純な斬撃ではあるが、その力と速さは並大抵ではない。軌道が分かっていたところで圧倒的な質量が高速で迫り来るのだ。捌くには相応の熟練が必要とされるからである。それを子供の振り回す木切れをいなすかのような白命、やはり底が知れない。

 しかも弾くにしても絶妙である。すぐにでも次の斬撃を催促するような角度、強さで弾く。
型の無い実戦形式の打ち稽古、その受け役、打太刀としても如才無くその能力を発揮していた。



(これはどうです!)



 間髪入れず清香、手首、腿と中下段へ打って散らし、さらに胴へ諸手で水平に斬り込み、白命が弾きにきたところ、その刃を僅かに霞で、上段へと移行しながらかわし、先を取りて打ち下ろす。
だがそれも
取らせて(・・・)もらった(・・・)先手であり、読んでいたかのように鮮やかに清香の上段左右の打ち分けを打ち落とした



(ならこれは!?)



 打ち落とされてしかし、それもそのまま隠の構えに。
これは相手からは刀身を隠した脇構えである。それをそのまま隠のまま、刀身を点として白命の視線と水平に、文字の如く白命の目に刃を点にさせて刺突する。
斬撃から刺突、軌道の急変、それは目測を狂わせ一瞬の虚を突き、すなわち惑いを生ませて相手を縛る。だがその程度の虚で白命という凄まじき使い手を縛鎖することはできぬということか、首を捻り、まさに首の皮一枚でかわされる。

 が、白命が首を捻ったのは左、右の刺突を繰り出した清香の刃、そのまま左に刃を滑らせば白命の首を掻き切ることは容易い。
これで簡単に殺されるような白命ではない、それがわかっているからこそ清香は躊躇無く、機を逃さずに刃を滑らせ・・・・・・ようとしたところ、時間切れと宣告するかのように白命は豪鬼で龍切を弾き上げる。

硬質の音が響き渡り、瞬きにも満たない僅かな時の中、清香を襲うは無力感。
どこへどう打ち込んでもあやすかのよう、いなし、弾かれ、かわされる。



(だったらこれは!?)



 さらなる急加速による連撃、いなしも崩しもさせ得ない、肉薄しての斬撃の嵐。
それも全て驚異的な技巧で払われるが、その一瞬において白命の足を止めた。
すかさず清香、白命の脛を斬り払う。運足を封じられた白命は真上に跳躍、瞬発的にかわし、逆にがら空きになった清香の上半身へ豪鬼を打ち下ろす。だがその時には清香はすでにそこに居ず、白命の背後へ回る。
刃を向ける時間はない、龍切の柄頭で薄命の延髄を打つ。だが白命の延髄へ柄頭が殴打を極める直前、白命は前方を向いたまま左の掌に握った分銅を清香の顎先向けて放ち、その殴打を中断せしめた。



 思わず清香は下がり、距離を置く。瀑布のようにどっと呼気が流れ落ちないよう自制しながら構え直す。



(やはりまともに打ち合っても駄目ですね。かといって今のようにゆったり(・・・)と意表を突いても遅すぎる)



 速く、速く、疾く、きわどく、死に肉薄しながら、その不吉な息を頬に感じながら、死で死を制するような、ぎりぎりの間。
刹那よりもさらに短いその間で死中を縫いて刃を通せ。それで白命に冷汗や血の一滴でも流させれば上等。

 となれば小細工無用。

 清香はゆっくりと息を吐いていく。
浅く、長く、不要なもの全てを排出していくように、糸のように静かに息を吐き続け、
(から)になる。

 八相から流れるように右袈裟へ斬り下ろす。白命の刃、それを弾くために同じ軌道で右袈裟に振られる。

 が、そこで清香は今一歩踏み込み、白命の刃が龍切とかち合うよりも速く懐へさらに半歩入り、首筋へと刃を伸ばす。
完全に殺すことを目的とした剣筋である。
本来、打ち合う暇があれば斬れるのだ。そしてその斬撃は鋭く白命の首を斬り落とすところ、彼女は左に持った分銅と右手に握る一枚刃、それらを繋ぐ鎖を強く張りて清香の斬撃を頬の手前で受け止めた。


 これでもまだ届かぬか、清香が思った瞬間である。
白命の頭髪が数本はらりと舞い落ち、頬には二尺足らずの短い切り傷が線引くように生まれ、紅差すごとく血が滲む。



 白命は刃を下ろす。つられて清香も龍切を下ろす。白命は言う。


「採点しよう。まあまあだ、悪くない」


「・・・はあ」


 清香、どこか狐につつまれたような面持ちで曖昧に。
酷評されるものだとばかり思っていたからであり、何よりも彼女自身、自らの力の足りなさに歯痒ささえ覚えていたからである。



「納得いかないか?」



 そんな清香の様子を見て白命。



「いえ、ただ実際、手も足も出なかったわけですし・・・」


「最後の斬撃はどうだ、なかなかにきわどかったが」


 言われると清香、どこか自分のしたことに恐れを抱くかのように、



「あれは本当に白命さんの首を切り落とすつもりでやりました、それでも・・・」



 届かなかった。
だが言葉の尻がかすむのはそのせいではない。
完全に神剣五分の力を自らの制御に置いたと思っていたが、そうではなかった。白命の力量に絶対の信頼を置いているのは確かだが、それでも平然と刃を向け、首を落とそうとしたのだ。
剣が届くかを稽古の目標の一つにするのならば逆刃でもいいはずで、本来の自分ならばそうするはずである。気付かぬ内、力に呑まれていたのだ。そしてそれでもなお白命には遠く及ばなかった。その二つが二重の責苦となって清香の心胆を重くする。

 だが白命、清香の心中など意に介さず、その言葉の中に意味を見つけ拾い上げる。



「それだ。お前は最後の斬撃、本気でわたしの首を落としにきた。それまでの技巧面で一本取ろうというものとは別物、如何に相手よりも、わたしよりも早く剣を振り、届かせて殺すか。最短最速で死を刻もうとした。だからわたしも手傷を負ったわけだ」



 白命は頬の傷を親指の腹でなぞり、一瞥。それを無造作に人差し指と擦り合わせて消すと続ける。



「清香、わたしとお前の実力差、それはなんだと思う?」



 冷淡とも取れる口調で淡々と、白命は清香に問う。突然に話を振られた清香であるが、その解答に今さら頭を捻る必要もない、答える。



「鍛錬の差、素質の差、だと思います・・・」


 自らの根本的な不足を口にしてその声音は鈍く、暗い。だが、



「違うな」



 白命はあっさりと否定する。それこそ虚を突かれた清香、驚いたように顔を上げる。
ではなんだというのか、その眼は白命の口元を凝視する。



「確かに鍛錬の差はあるだろう。だが資質で言えばお前の方が上に決まっている。神剣の行使者であるということは他の何にも勝る才能だ」



「あ、いえ・・・とはいっても実際手も足も出なかったわけですし、それに白命さんには忍術がありますし」


 自分の方が白命より才がある、まさかそんな荒唐無稽、信じられようがない。が、そんな冗談を言う人間でもないこともわかっている。一体、白命は何を言おうとしているのだろうか。



「確かにわたしはあらゆる忍術を習得してはいるが、神剣の力を真に発揮されればそんなもの、ほとんど通用しないぞ」


 まるで実際に試したことがあるかのような口ぶり。続ける、


「それに手も足も出ないとは、謙虚を通りこして些か卑屈にも聞こえるな。先の首を狙った斬撃は何度も言うが悪くない。はっきり言うがわたしとお前の間に剣による技量の差、これにはお前が思っているほどの開きはない。大きな差があるとすれば意識と経験の差だ、わかるか?」


 わかるようなわからないような、経験の差ははっきりとわかるが意識とは何を指しているのか、すっきりとしない清香の顔を見ながら白命。



「簡単に説明すれば意識も経験も一緒だ。殺す意思と殺しの経験、それだけの話だ」


 それだけと括って済ますには重過ぎる、清香の目は大きく見開き、緊張で心拍も凍る。


「技量に圧倒的な差はない。が、手も足もでない。それはなぜだ?技量だけで剣を振っているからだ。そして剣本来の強さとは人を斬ることで覚えるものだ。その覚悟も経験もない者が、本来の剣を知る者に勝てぬのは道理に適ったことだ。わかるか?だからこそ先の斬撃を評価したのだ。あれは殺すことを目的とした剣だった、だからわたしも押し込まれた。剣術は殺す為に生まれた技術だ。その技術は人を斬ることを目的としてこそ磨かれるものであり、その本来の目的を欠いては木切れを使った曲芸と変わらん」


 饒舌に白命。清香の現時点での考えを把握しておきたいがゆえである。
一方、清香はある意味ずっと目を逸らし続けていたことを眼前に突き付けられたかの気分であった。
わかっていたのだ。自分の剣が技術一辺倒で本来の剣の強さを持っていないのは。まさに白命が言ったようにどう言ったところで剣術は殺しの業である。技巧による鮮やかさなどいらぬ虚飾、優れた剣とは如何に速く相手の生命を断ち切るかである。
そしてそれを意識した途端、白命の言わんとしていることが清香にはわかってしまった。

先の最後の斬撃、それを評価した白命。あれは確かに紛れもなく本物(・・)()()である。
最短最速で命脈を断ちにいった。
本来の剣筋さえ発揮させれば実力に長大な差
は無いと言っているのであろう。自分が以前からの技術頼りの剣をいくら振ろうと何の力にもならずこれよりは、言うなれば甘さを捨て、剣を握ることの業を背負う覚悟をせよと暗に白命は言っているのである。



「で、ですが・・・」


 清香、思わず躊躇い、子供のように駄々を洩らす。

 殺す為の道具を持ちながら殺しを厭う、その矛盾、いや、欺瞞なのか。これこそ清香が直視しようとしなかった刀の本質、だがこのまま進み行くならばもう目は逸らせない。
どのような形にせよ受け入れなくてはならない。なぜなら今回のかぐや、伝え聞く情報を統合すれば明らかに技術戦ではない、個人の総力を駆使しての生き残り。
傷つけたくない、そんな清らかな、いや生ぬるい考えで他のかぐや候補や業物衆頭などの強者相手に勝ち抜けるわけがない。
みなそれぞれの覚悟を持ってそこに立つはずである。屠る意思も無いというのはある意味において礼を失するとさえいえる。

それでも『殺さず』、この尊大な我儘を通すのならば、尊大に振る舞えるほどの強さを宿すべきである。
しかしそれが無理ならば泥を恥辱を呑んで矜持をも捨てて目的の達成のみに執着するべきである。
我を通すか、捨ててでも目的を取るか。
答えはわかっているのだ、今の自分に我を通す強さは無い。
だが『かぐや』だけは取らねばならない。であれば『その時』がくれば惑うことなく命を奪えるか?無責任に『できる』など考えるのも耐え難い。ではどのような覚悟をもってして自分は『かぐや』に臨めばいいのだ・・・煩悶は絶えない。
今まさに清香、自己矛盾と自己欺瞞を抱えて進まんとしているのである。


 そのような清香の葛藤見透かして白命、自分が言わんとしていることは伝わっていると理解する。であれば今回はさらに念を押すに留めておくで充分であろう。
あらゆることを考えさせておけばいいのだ。
かぐ(・・)やの(・・)結末(・・)()決まって(・・・)いる(・・)清香が壊れないように耐性を付けなければいけない、これはその作業。


「今までお前がどんな想いで剣を振ってきたかはそれなりにわかっているつもりだ。それは立ち合ってみればわかる。だがな清香、お前は自らが剣を振るう理由をもっと優先すべきだ。その理由を達することを考えた時、お前が最も忌諱する行動を取らなくてはならないこと、その覚悟だけは決めておけ」



「・・・はい・・・」


 小さく答える。


 それは言われずともわかっていること。本格的に剣を振り始めた時からずっと、そして今この時も強く、いや、今この時こそ最も強く痛感していることなのだ。


 殺さずを通し、全てを諦めるか。

 殺してでも前に進むか。


 無論、殺さずを通してもやりようはあるかもしれない、殺しの決意をしたとしても徒に殺しに興ずるわけではない。全ては自分次第。だが今回のかぐや、現実的に考えればこれほどの好機は他には無い。かつ父の信頼すらもかかっている。

殺す殺さないなど問題の表層に過ぎないのである。
要は自分がどこまで甘えを切り捨てられるか、それが問題であり、高みを目指そうとする時、それはしこりのように、腫瘍かのように患部のごときになる。
今までは目を背けていればよかったがここにきてはそうもできない。心は揺れど、自らの甘さ、いやがおうにも目を向けなければならない。






『その時』が白命によって突き付けられる瞬間、それが迫っているのだから・・・・・・













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