再び歩き出し、清香は三平に言う。


「だけどなにもこんな日にわざわざ僕に付き合うことはないと思うんですが」


「いえいえ、これは自分の仕事ですから」
 すると三平は間髪入れずに切り返す。


「いやいや、でも僕が出るのは対人戦じゃないし、怪我の心配だってないですよ」


「怪我の心配はありますよ。清香さんいつも危険な演武するじゃないですか」
 三平は非難がましい表情で言う。
 清香もそれを言われると痛い。


「それにしても医師を付き従えて行くほどのものでもないと思いますが・・・」

 頑(がん)として引きそうにない三平に対し、痛いとこ突かれた清香の声は尻すぼみになる。


「なんにしても武器を扱います。それに祇園には危険な人間が集まります。
それに道中何が起きるかわかりません」

 三平はまったく引かない。


「道中って・・・すぐそこですよ?」
 それでも清香は押してみる。

 すると反動つけて返ってきた。


「何が起きるかわかりません!
それとも清香さんは何もかも見通す千里眼を付けておいでですか!?
それとも絶対守護の神通力でも持っているのですか!?」

 まくし立てられ


「え?・・・いや・・・持っておりませんが・・・」
 些(いささ)かの狼狽を示す。


「ほら!」
 するとまるで勝ち鬨(どき)の如くボフッ、と三平は鼻息を噴射。


「・・・・・・」


「ついていきます!」


「・・・・・・はい」


「あと自分の名前は三平太です!」
 とどめである。


「・・・はい、気を付けます・・・」

 普段は大人しい三平の畳み掛けに気圧され、清香は大人しくなる。

 なぜだろうか、少し落ち込む。なので些細な恨み事をこっそりと。


「たまに頑固になるんですよね」

 呟けば三平が横目を刺す。

 清香はしばらく黙って歩く。


「ねえ、三平。さっきの話を蒸し返すのではなく、純粋な質問だけどいい?」
 しばらく歩き、気を落ちつけ、清香は問う。


「あくまで三平呼ばわりなのが気になりますが、いいですよ。なんですか?」
 三平は返す。


「さっきあなたは『これが自分の仕事だ』って言ったじゃない?
でも〈かぐや候補御付き医師〉って言っても、
本来その仕事は当日僕が望んだ時に限り治療を施すってものでしょ?
今僕と歩いていることの方が三平の役目上、異例の行動なんじゃないですか?」


「確かにそうですね。でも禁止されてもいません。
それは確認したので問題ありません。
御付き医師の禁則事項は、極端にいえば私情による戦闘妨害と、医療拒否だけです。
それ以外には特に絶対的な制限はないんですよ」


「へえ、そうなんですか」
 清香はとりあえず頷いた。

 三平が今言った禁則であるところの〈私情〉を大いに挟みそうな人間なので
不安はやはり尽きないが、さっきの今なのでさすがに清香も何も言わない。


「これで納得していただけましたね?では行きましょう」

 そう三平が促した瞬間、前方から悲鳴が上がった。



 二人が駆け付けた頃には軽い人だかりができていた。


「すいません。どうしたんですか?」

 三平が一人の町人に訊く。


「いや、おれもよくわかんねえけど、
ほれ、あの兄ちゃんがあそこの同心の旦那になんか粗相(そそう)しちまったみたいだ」
 町人が言うと、さらにその隣にいる町人が説明する。


「馬鹿、粗相つっても茶屋で茶を飲んでた兄ちゃんが
後ろを通りかかった同心に茶を掛けちまっただけだよ。
しかもそれ茶屋の腰掛が壊れてひっくり返ったんだから兄ちゃんは悪くねえよ。実際」
 町人は言う。

 実際のところは、と。

 そう、実際のところ悪くはない。
 しかし咎(とが)められる。
人と、人の創り出す世は物質とは違う。

 どうしても矛盾を孕(はら)む。
正においてはその正当性は否定され、邪においては、時にまるで正のようになり替わる。


(馬鹿馬鹿しい話です)

 それを肯定する気もないし、諦念(ていねん)でもって受け入れるつもりはさらにない。
清香は人だかりを掻き分けていく。


「ちょ、ちょっと、清香さん!相手は役人ですよ!待ってください!」
 三平の制止も空しく、清香は行ってしまう。


 問題の役人は茶のかかった頭を手拭いで拭きながら、腰の刀に手を掛けている。

 その顔は怒りで朱に染まり、
拭かずとも茶を蒸発乾燥させんばかり、烈火のごとく湯だっている。


「おい、兄ちゃん。人に茶ぶっかけておいて、いきなり『おれは悪くないんです』はないだろ?」


「あの、だから、いきなり腰掛けが壊れたんで・・・」
 男は腰を抜かしてしどろもどろ、言葉を失う。

 茶屋の者も罪を着せようなどと思ってはいないだろうが、間に入るだけの勇気もない。
隅で固まって見守っている。


「例えそうだとしても、お前が掛けちまったことは事実だろうが!
まずてめえさんが丁寧に拭いて誠心誠意謝る!これがスジってもんだろ!」


「ひっ!」
 同心が吠え、刀を握る手に力がこもる。男はいよいよ竦み上がる。



「待ってください」
 しかしそこで清香が割って入った。


「あん?」
 役人が清香を向く。


「あなたの言うスジとは一体何ですか?強請(ゆす)りたかり、小悪党のスジでは?
町内の秩序を護るべき者が自ら秩序を乱し、
刀まで抜こうとしている。いつから幕府は無法者の元締めになったのでしょうか?」
 
 清香の声音は朗々(ろうろう)響き、周囲の町人の無言の賛同を得て、役人を刺す。


「なんだ、姉ちゃん?
いきなり現れて御高説垂れてくれるたあ良い身分じゃねえか。どこの雌餓鬼だ?」
 役人の矛先が清香へ向く。

 対する清香は義に燃え、凛と立つ。

 一触即発。


「ちょっと待ってください!」
 均衡を破ったのはしかし、同心の後ろに立つ岡引だった。


「弓削(ゆげ)さん!この女、かぐや候補ですよ」


「はあ!?・・・本当か?」


「間違いないですよ」

 そのやり取りで空気が変わる。

 町人の動揺(やっと気付いたかと訳知り顔の町人も多いが)もそうだが、弓削と呼ばれた役人の豹変ぶりはいささか面白い。

 刀から手を放し、恫喝(どうかつ)の表情は消え、
その跡地に愛想笑いを構築し、口からは言い訳をベラベラと放りだした。


「なんでそれを先に言ってくれなかったですか!
人が悪いなあ!おい、兄ちゃん!悪かったな!下のもんの不手際が重なって苛ついてたんだ!今後は気をつけろよ!」

 早口でまくし立てると、逃げるように去って行った。


 騒ぎも収拾し、再び大路を行く。三平はほっと一息、安堵し、清香へ向く。


「清香さん、勘弁してくださいよ。町人同士の喧嘩じゃないんですよ。
下位といっても同心はれっきとした役人なんですからね。
相手が引いたからいいですけど〈かぐや候補〉なんて法的にはなんの保障もないんですからね!」


「三平」
 遮るように清香。


「はい?」


「うるさいです」


「へ?」
 きょとんとする三平。


「町内警護が役目の者が自ら秩序を乱してなんとします。
僕はただ罪の無い者が咎められるのを見過ごすことができないだけです」


「それはわかりますよ。
立派なことだと思いますけど、
相手も腰のものを抜きそうになってたんだし、もう少し慎重にですね・・・」


「慎重に眺めている間に斬られたらどうするんですか?」
 清香が言うと、三平は黙り込む。

そういうことが起こりうる治世だとわかっているからである。
幕府とは武家による統治機関である。

どんなに貧しい名ばかりの御家人であろうと録を食んで生きている以上、町人などにでかい顔などさせないという横暴な者もいる。

もちろん明らかに理不尽な事をすればさすがに役人も裁かれる。
今回のことも、もし本当に町人を斬っていたらその対象にはなっていたかもしれない。

だが卑小な役人というものは、常に小心の内に賤視(せんし)の対象を求めている。町人などは格好の対象である。

もしその低級な人間(そいつから見ればだが)に突然茶などかけられ、自分は悪くないなど言われれば、役人の歪んだ自尊は癇癪起こし、小物ゆえの前後不覚、刀を抜いた以上、どんな間違いが起こるかわかったものではない。


清香は続ける。


「三平、義憤を殺してしまったら僕の全ての志が意味を失います。わかってくれますね?」
 清香はそう言い、腰の刀に手を触れる。

それはあらゆる不義不正を許さぬと誓った証そのもの。



(その為のかぐやです)


 清香は心中呟く。






 祇園はすぐそこだった。

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