――そして時は遡り、
幕暦234年、卯月。
京都。
清香は祇園(ぎおん)へ向かい東大路を歩いていた。
春は爛漫(らんまん)、爛熟し、暖かな陽気がなんとも眠りを誘う。
路に植えられたしだれ桜が青天を背景に風雅に栄え、豊潤な香りを春風に乗せている。
清香は世界の艶(あで)やかさに思わず足を止め、さっきから隣を歩いていた青年に感嘆の溜息を洩らす。
「本当に素晴らしい天気ですね・・・三平」
なんだか滑稽な物言いではある。感銘に言葉がまったく追いついていないのだ。
「はい!本当に良い天気ですよね!」
しかし純朴を絵に描いたような小柄な青年も然り。
雅(みやび)な表現とは無縁のようだ。晴れやかに真澄(ます)みの空を見上げる。
「なんて見事な桜!」
世界美への感嘆、その魅力に呆気に取られたのも束の間。
清香は桜の木の下に駆けより、童(わらべ)のような無邪気さで一心に見上げる。
「わあ・・・」
溜息がうっとり漏れる。
瞳には桜花繚乱(おうかりょうらん)、身体は春に包まれ、心は桜酒。
とろり甘くなる。
群青が縁取る桜花の乱れ咲き。天上の宴にいるを思わせ、一時ばかりの夢心地。
桜花に並び咲く人の花。
可憐なるは清香である、と、瞬間に三平は思う。思わずにはいられなかった。
静かに、甘くほころぶ。
謹厳実直な態度が常の清香も、人の真心や美しいものに触れれば唐突に甘く咲く。
それが彼女の本来なのだろう。
思慕でも恋慕でもなく、ただただ清く、三平は清香生来の愛らしさを愉しむ。