序幕






幕暦234年




 極東の島国『蓮月』の南西。
都から遠く離れた鎮西9集『隅州』に龍造寺清香はいた。


 雑草もまばらな荒れ地の上には人の群れ。
 約五千。

 地を割らんばかりに錯綜鳴動、踏み鳴らし、怒号を撒き散らしながら殺し合う。


 実りの無い荒涼とした地に今や山と溢れる色彩。

 死骸の数々。


 飛矢によって無数の棘を生やした死骸。
 急所を刺突され、切り裂かれ、不格好に断末魔を上げた死骸。


 激しく切り結び、組み打ち、飛び散った甲冑、手足の指。
刳り抜かれ、そこら中木の実のように転がる目玉。


 舌はダラリ垂れ、目玉はグルリ白く剥き、死の無惨を見せつけて斃れる戦馬。

 大鳥の羽や獰猛な肉食獣の体毛で勇壮に飾った大太刀も中には転がっている。


 そしてそれら全てが血にまみれ、赤黒い死の影が滲みのように大地に広がっていく。




 南西の外れで起きた反乱。

 蓮月幕府鎮西軍と元幕僚『龍造寺忠人』の結成した反幕府勢力の衝突。


 足掻き、もがき、狡く、汚く。
 戦いの礼儀など無い。

 隙を付き、意表を付き、何が何でも敵を屠る。

 汚濁にまみれ、泥水を啜り、それを勝利の美酒とする。

 人が獣に回帰する。



 そんな生々しい乱戦の中において清香の存在はあまりにも特異すぎた。

 その動きはまるで剣舞の如き、流麗。淀みない。
高位の神性を宿したが如く、まるで巫舞。


 手には神炎を宿すといわれる神剣『龍切』が握られている。

 その刀身は深紅に染まり、甲冑の鍛鉄(たんてつ)も水に刃を通すように容易く斬り抜く。


 得物の圧倒的な差。そして技量の圧倒的な差。

 生半の練兵などその差を微塵も縮め得ない。


 およそ戦場に於いて不釣り合い。
美しくもある清香の動きを舞いと称する最たる所以はその冷然とした表情にある。

 敵味方双方入り混じっての乱戦。

 陣形も何もない。あちらこちらで阿鼻叫喚。
臓物と血と小便と大便の臭いが充満する死の渦。


誰しもが殺しの熱病に罹り、悪鬼の面を被る。


 その渦中において、まだあどけなさを残す美しい女が眉一つ動かさず破格の武力で死体の山を築いていく、
その異様。

 軽装ゆえに身のこなしも鮮やか、理合をよく解した剣技は雑兵を次々撫で斬りにし、
まさに天女の剣舞といって差支えない。

 清香が舞えば、血風が吹き乱れる。
流麗から凄惨が生まれる様はなんと倒錯した美しさであろうか。


 どれだけの兵を舞い斬ったのか、突然に清香の前方に空間が開けた。
敵陣を突破したわけではない。
荒れ地に7間ほどの間を置き、長槍を構えた小隊が切っ先で清香を睨みつけている。


突破は容易だが清香は足を止めた。



「射てい!」

 瞬間、号令一下。

 長槍隊のさらに後方より無数の矢が放たれ、大気を切り裂きながら清香へ雨と降り注ぐ。
と同時に長槍隊は一糸乱れぬ気迫の突進を開始。統率のとれた2重攻撃。


 天と地と物量による圧倒。このような混戦下、なかなか冷静で手腕のある指揮官がいたということだろう。


 すると清香は足を止めたまま腰を落とし、龍切を脇に構えると、可憐な唇からポツリ術式を紡ぐ。



「龍炎舞・龍舌」



 言うと同時、刀身に紅蓮が宿る。
天か魔か、いずれにせよ生身には凶兆でしかない業火が荒々しく刃を包む。

 清香が燃え盛る龍切を脇構えから天に向けて逆袈裟に薙ぐと、
刀身に巣食った業火は龍の如く解き放たれ、自身に降り注ぐはずであった無数の矢を跡形もなく飲み込み、
天を舐めた。


 次いで返す刀。突進してくる長槍隊に向けて空間を挟み、
鋭く水平に一閃。すると再び業火が解き放たれ、長槍隊約30人を呑み込み、一瞬で丸焼きにする。

苦悶を上げる暇もなく炎上、焼失。



 清香は人が焼ける悪趣味な臭いを嗅ぎながら構えを解いた。

 敵陣はほぼ壊滅。神剣のもつ人智を超えた破壊力を目の当たりにし、僅かに残った兵も反転、逃走する。


 職業軍人である武家の者もひたすら戦場から四散。当たり前だ。
彼らが垣間見たのは炎獄。圧倒的な死の深淵。

 それを覗いて尚、その淵の上に大義や忠義や信念を打ち立て、
純粋な勇気でもって死を踏み越えてくる者がいかほどいるというのか。


 そしてそんな者はここにはいなかった。

 慌てふためき、背を向けての敗走。

それは殺してくれと哀願するに等しく、敵残兵は騎馬隊の追撃を受け、あっさりと全滅した。




 この戦は終わった。


 すでに龍切から炎熱は払われ、冬の乾燥した大気に触れて鈍く光るのみとなっている。
清香は龍切を鞘に納め、深く静かに息を吐き、後ろを振り返った。



 背後にあるもの。自らで築いた死体の山。
虚飾の無い、生の行為が生々しく丸出しにされている。臭気を放つ壊れた人体。


 ふと唐突に、眩暈にも似た錯覚がさしこむ。

 世界は暗褐色。
清香の影法師は遥か地平の向こうにまで伸び、自らの道程と重なる。

その仄暗い隘路(あいろ)は屍体で溢れ、
そして無数に溢れる屍の中、守れなかった人間の顔がやたらと目につく。


 たまらなくなり、清香は再び前を向いた。



 錯覚は消えていた。


 意識の底であらゆる感情が渦巻くが、強靭な意志でもって全てすり潰す。

 みるべきは過去ではなく未来。
 遥か北東にある都。
 そこで全てを終わらせる。


 行われるは戦。

 辿り着くまでにも戦。

 殺し殺して、その後、自らに残るものは何もなくてよい。



 清香は茫漠と思う。
わたしは戦に身投げしたのだ。もう止まれない。


切り裂き、
焼き払い、
血道を進むだけ。






 幕暦234年、霜月。





 龍造寺清香は南西にいた。
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