「ですが観覧といえば、そうです、今回から異国の使者にもかぐやの観覧権が正式に与えられたようですな。我らも取り急ぎ特別観覧席を設けているところです」


「なんと・・・それはまことか」


 改まった諸見を怪訝に思う暇も無く、天厳帝もその言葉になるほど声が若干の硬さを帯びる。



『異人』
 異国の人。遥か大海を渡りし容姿奇異なる客人達。みな丈高く、優に6尺を越え、中には7尺以上の者もいる。さらにはどれもこれも眼窩は落ち窪み、鼻梁は天狗の如く長く伸びる。まるで鬼のようではないか。無明の蛮国。蓮月の人間は異国の人間をそう言い慣わしていた。



『蓮月』
 月いずる国。古来より月鉱石の恩恵に与ってきたこの国の月への信仰は根強い。神仏として格の高いものはみな月へと由来し、重大な祭事の多くが月夜のよく冴え渡りし日に執り行われる。月と太陽。これと居を同じくする(と信じられている)蓮月こそが光ある正しき唯一の民族であり、その他の国はその庇護から外れるゆえに姿形もどこか化物じみる(これも蓮月という閉鎖した島国の一方的な見方でしかないが)と考えられており、それこそが異国を無明の蛮国と言わしめる所以なのである。そしてこれは古い時代の思想ではなく、古来より今なお続く思想といえるものである。


 そのように外見からして異質であることに加えて文化的な違いもある。
大きなものを上げれば信仰であろう。どのような神を創り上げるか(想像して仕立て上げるか)、どのような神々の歴史を創造するか、これこそがその地に住まう人間の性質を如実に物語るものであり、まずそこから生活の様式が生まれるのである。生活の様式が定まれば、そこからさらに言語や規律、娯楽や戒律などが次々生まれ文化が熟成されていく。

 例えば蓮月が唯一の正しき民族であるという思想を持つに至る背景であるが、月鉱石によって特殊な文化を持ち、いかなる国の侵略をも退ける武力も持つのは当たり前だが、最も大きく作用したのは歴史上の長い年月において大海の只中にあり世界で唯一存在する民族であると思い込んでいたところにある。比較も何も無い、はなから至上の民族であるという意識があった。これこそ蓮月という国の地理がもたらした文化的思想の下地であろう。

 が、時代は流れ、大海を隔てた異国の数々の文明も進み、造船技術の向上を契機に幾つもの国が大海へと繰り出す大航海時代になっていた。そして未知の大陸の発見や未知の国家の発見があり、当然それは蓮月にも該当し、歴史の必然であろうか、侵略の戦があり、双方に血が流れ、そこで初めて条約が交わされて交易が始まった。蓮月にも異人街ができ、遅々としたものであるが文化も混淆していく。

 であるが異人は異人。あくまで外部の人間であり、異なる要素である。真から馴染むわけもない、当然として異人街から外に出ることなど許されない。というのも幕府はまったくもって異人、ひいては異国の和平条約など信用していなかったからである。国の新しき利益にも繋がり、これだけ多くの民族が世界各地にいると知れた以上、まったく閉鎖しても情勢に疎くなり、それはうまくないとの理由で国交はあれどまったくもって信は置いていなかった。

 それはやはり異民族の侵略性を警戒してのことである。

 海の向こう、広大な大陸の上には様々な人種があり、それらが幾つもの異なる国家をつくっている。もちろん蓮月でも古来より各地で戦はあった。今でこそ幕府は北州から9集までその全てを所有管轄しているが、例えば遠い過去にはそれこそ蓮月本土と北州はまったくの別国、文化も言語も違う敵国同士だったこともある。

 幾度となく戦が繰り返され、埋まらない軋轢の間には両国の流血ばかりが流れ込んだ。元々は時の執政が北州を攻めたわけだがそれとて目的は蹂躙ではない。意に従わぬ北州を戦によって疲弊させ、降伏させることによって北州を吸収、その国力を取り込もうということである。戦で徹底的に叩くのは恭順させる為の手段に他ならなく、権力者にとっては戦など交渉道具でしかない。国の一部にすることを最初から計画していたのである(結局は奴隷国家として管理するに至るわけであるが)。

 しかし異国の対立は違う。

 これは蹂躙・殲滅を目的としたものが多々ある。広大無辺なる大陸である。環境は多様であり、住まう動植物、ひいてはその地に暮らす人間の姿形にも影響を及ぼす。大陸北部と南部の人間など顔形から肌の色までまったく交わる部分無く、双方からみれば奇怪な衝撃に襲われたことだろう。

 見た目の決定的な違い、これは非常に大きい。蓮月本土と北州の人間など見た目には大差無い。あったのは文化の違いとそこから生まれた不幸な対立である。しかし姿形と文化があまりにかけ離れると人間は徹底的な隔絶を持ち、排除行動に移りだす。それが最も顕著に表れたのが大暗における原住民掃討という大虐殺である。

 大暗とは中世に発見された未開の新大陸であり、そこに住まう人間の文化は人間の特有さ甚だ低く、動物の一種に近い。自然の一部であり、そのうつろいと共に生きて朽ちる、動物のそれに近いものであった。といっても独自の文化はもちろんある。勇んで大暗に踏み込んだ西暗(蓮月における西の無明の意。文明盛んな大陸のことであり、火凛などもこれに属す)の人間が目にしたのが原住民による人肉喰いであった。もちろんこれに猟奇的なものなどない。大暗原住民にとり、非常に崇高で厳粛な行いである。大事な者の死した肉を喰う、これによってその者の命を譲り受け、いずれ自分もその命を他に譲り、繋いでいく。これこそその民族にとり重要な行いの一つであり、死した者の肉を喰わないなどそれこそ人にも劣るということである。

 しかし西暗の人間はそんな慣習など想像さえもできずおぞましきに映り、無理解は最大級の恐怖と変じ、新たに発見した大陸には邪悪で野蛮な人種がはびこっているとみなした。その頃、植民地獲得に躍起になっていた西暗の国々はこぞって大暗に乗り込み、原住民を一掃し、すぐに領土の奪い合いの戦争に明け暮れたのである。

 これからわかるよう、西暗の国々は徹底的に相手を滅ぼしたうえでの支配が常であり、その行動原理に寛容や容赦といった言葉は無い。幕府も西暗侵略軍の戦の苛烈さ、そこから端を発した情報の収集によりけして油断してはならない相手でであると熟知しているからこそ和平条約など甚だ軽い口約束、異国の使者なぞ獅子身中の虫との危機感を常に持っていたのである。よって当然その身の自由は非常に限られ、ある意味で現状の蓮月の武威を示すともいえる三千月夜、その最高峰であるかぐや決定戦を見せるなどという行為は決して許しはしなかったのである。

 しかしその動かし得ぬ巨岩の如き定め事が唐突に動かされ、あろうことかきれいさっぱりと取り払われてしまったのだ。天厳帝の声が色を失うのもむべなるかなである。


「それは誰が・・・いや、蓮月豪徹しかいるまいか・・・」

 呟き、気を鎮めようとしたか、とりあえずと杯を舐める天厳帝である。豪胆さにおいて言うなれば帝など足元にも寄らぬ女傑の唐歌でさえ虚を突かれたような顔を見せている。「・・・それはまた大胆なことを・・・」艶のある口から押しだす。


「大胆、確かに大胆ですな。しかし観覧権が与えられたということ、禁則の封が解かれたということ、間違いなくこれにはそれに見合った外交取引、その成功があったことを示唆しますな」

 諸見は言う。確かに彼の言うとおり自国の利を損ねかねない法を取り払うこと、しかも信頼の置いていない相手にそれをするということ、それには対等もしくはそれ以上の対価を得られる確証なくては起こり得ない。


「・・・確かに、確かにな・・・」言って再び杯を舐めて天厳帝。それにてやっと出会い頭の動揺からは脱したか思考を働かせて言葉を紡ぐ。


「といってもなんであろうな、異国の文化はもはや蓮月とはまったくの別世界であるし、豪徹ならば俗人には奇異と映るを繁栄に転ずる手腕長けているであろうしな、何をどう利用するつもりやら」

 動揺という無明の穴ぼこから抜け出た途端に思考の迷路に嵌り込む、その天厳帝を迷い無い高らかな境地に引き上げるは彼にとっての天女である唐歌であった。


「恐れながら天厳様。此度の件、取引が事実であった場合、交易許可の時の医学の開陳と提供然り、推測は単純に通すのがよろしいかと」


「単純に、と申すか・・・」

 唐歌の言葉にまるで思考のごた煮から抜け出て清澄なる高みへ導かれたか、不意に一つの答えを得る。



「造船術、か?・・・」


「流石。わたくしもそうと思います」

 まるで我が子の知性の閃きを愛でる母の如くに言葉を添える。
といえど天厳帝の言葉、その答えを導いた唐歌の助言がやはり明快であり素晴らしい。

 過去の蓮月は進んだ医学の為に必ずしもする必要のない交易を大々的に(遥か昔から局地的な交易はあった)許可した。乱暴に言えば大がかりな交易の申し出など再三してきたように一蹴してもよかったのである。
事実蓮月にはそれだけの武力がある。真っ当な条約のもとに交易をすれば確かに国はさらに栄える。だが力に勝る蓮月が必ずしも交渉の場にて対等の席に座る必要などない。優勢な国が自国の有利に働く条約を結ぶことは常識である。

 だが蓮月はそれをしなかった。何故かといえば火凛から医学を円滑かつ友好的に引き出す為である。医学においては先達である火凛の顔を立てた形である。無論、それによって蓮月が火凛に慢心を与えることはなかった。それほどまでに戦乱期を通過した蓮月の武力は高じていたからである。
 すれば火凛としては蓮月と有益な条約を結ぶ好機である。おさおさとそれを反故にするようなことはない。蓮月の文化と引き換えに惜しみなく医学を提供した。それには当然身の不自由こそあれど、本土に住まうことも許可された。そしてそれは火凛に大きな益をもたらし、そして、蓮月には医学の飛躍的進歩という延命術を与えた。

 蓮月の医学は火凛に百年優に劣る。この差を埋め、純粋医学を得る為には国交を結び、医師団を招き、教えを乞うに勝るものはない。真に学び取るにはそれが最も適した手段と承知してのことである。知識は毟り取るものではないということだ。
 むろん現在においても旧医師の反発はあるが結果として100年かかる後れを何倍にも短縮してものにしつつある。蓮月豪徹は蓮月という古い身体に新薬を投与し、それを劇的に活性化させたということである。

 そして医学然り、文化や科学の醸造にはあらゆる思考錯誤と失敗と成功、それに伴い消費された時というものが当然ある。それによって何を得るかは国次第。蓮月にあって異国に無いもの、異国にあって蓮月に無いもの。交易はそれらを平和的に交換する手段である。

 かぐやの観覧権と交換するに値するものといえば数は限られる。蓮月に無くて、しかし欲しいもの、といえば数は限られる。天厳帝も愚図ではない、造船術に見当をつけるのは尤もな推察であった。



 蒸気船。

 異国が海上権力獲得にしのぎを削る中、ついに開発された次世代船である。これはあらゆる海上運動に新たな可能性を誕生せしめ、海運における新航路の発見などまさに革新的な働きをみせている。

 蓮月ももちろん海運は盛んである。蓮月全土に廻船は巡り、沿岸航路及び内陸水運の経路も発達している。海流潮流もほぼ的確に把握し(あまりに不規則な海流の変化においてはそれに該当しないが)帆走技術の向上もあり、なにより国全土が海に覆われているため潜在的に海に対する造詣は深い。

 だが全世界からみれば小さな島国に過ぎない蓮月である。造船・海運において今ある技術の向上で事足りており、革新的な変化を求めるには至っていなかった。
 しかし広大なる異国はそれに当て嵌まらない。例えば小国であろうとも良好な港湾を持ち、海路を通りあらゆる国と商取引をし、資源豊富な島に植民し、外洋による勢力拡大を図れば一大強国となり得る。逆に広大な国土を持ち資源に満ちた国であろうとその一国のみでは勢力を増すのは困難となりつつある。本国以外の領有地をいかに得るか、いかに貿易を独占するか、これが国の強度を増す指針であり、各地に友好国や外部基地である植民地を増やすことは敵対国への圧力・監視となりすなわち海洋を制する国こそ世界を制す。

 そして当然、安全な海運には水軍の強化発達が伴い、そして外洋は広大無辺である。蓮月のように既存の技術の応用では成り立たなくなることは必定であって、定められたかのようにやがて蒸気船が開発された。これは帆の調節と船乗りの熟練を必要とせず風上へと邁進することを可能にし、さらに無風状態の使用不可な運河の航行をも可能にした。次世代船の台頭とそれによる新航路の発見。それは従来の海洋力の均衡を揺さぶるものである。

 例えば一つの有力な航路がある。長期航行には中継点が求められ、その航路の途上にある港に停泊することになる。それが自国の所有する港であれば問題ないが他国の領地であればなにかと金を取られるし、交戦国ともあろうものなら停泊などもっての他、その航路を使用すること自体が危険となる。これまでの歴史の中で築き上げられた海洋力はそう覆ることは無く、重要な航路の支配権が動くことはほとんどなかった。航路の独占は利益の独占であり、覆そうにも容易ではない。だが蒸気船による新航路は新たな海路を与え、一部の国にのみ優越であった独占的な航路に深刻な打撃を与えた。手段が増えたことにより独占性が無効となるのである。



 そうすれば、どうなるか。
 競争が、生じる。

 かつての強大な海洋国は亀裂の生じた盤石の地盤が崩壊するよりも早く蒸気船建造に着手し、対して敵対国はこれを好機とみなし勢力図を塗り替える為にさらなる蒸気船の発展に心血を注ぐ。

 全ては海洋の支配のためである。帆船が廃れたことにより従来の制海権には無数の切れ目が生じ、いち早く蒸気船による支配体制を整えた国が次代の覇権を握る。そしてその実現に必須とされるのは蒸気船の速やかな軍事利用化である。結果、それが蒸気船の発展を急速に促した。軍事転用に勝る技術向上はない。なぜならそれは理由がおそろしく明確であり、おそろしく欲望に忠実なためである。他より先んじたい、凌駕したい、圧倒したい、優勢でありたい。これらは知恵と文明を身に付けた多くの者が喉から引き攣るほど手を伸ばして欲しがる強烈な甘露である。ましてや国家と民衆が共にそれを強く志向した時、一つの苗が急速に大樹へ育つのをみるように爆発的な生産能力と技術の発展をもたらす。

 もし蒸気船の建造に一歩でも確実に先んじる国があれば制海権の大きな変動もあり得たであろう。だがしかし帆船時代後期から蒸気船の可能性はあらゆる国で模索され、その実用性が認められたことによりあらゆる国が一斉に蒸気船に乗り換えたようなもので、結局出発地点はほとんど変わらなかった。

 そうなると従来の国力がそのまま移行したようなもので力関係において劇的な変化は起きなかった。であれば乗り物が多少便利になっただけ、であろうか。答えはもちろん否である。

 技術競争により相当の完成に至った蒸気船。それをいかに利用するか、それを問われるのはむしろこれからの時代なのである。蒸気船の登場で何が変わったか。その最たるは海を固めたことにある。海流と風に弄ばれるだけだった船体に自由意思によって動く脚を生やした。もちろん大荒れの海では蒸気船も立ち往生がやっと、沈没も珍しくは無い。だがそんな状態の海を除けばおよそ自由な航行を可能にした。運動の多様化である。

 そしてそれが何に革新をもたらすか。海戦術である。
自由な機動は戦術の幅を広げた。櫂船や帆船の時代まで戦術は海流と風に支配されていた。それらを読み、利用し、
運ばれる(・・・・)ことでしか運動できなかった。もちろん櫂を漕ぐことで多少の自走は可能だったが海流や風に対してはあまりに心許なく不安定まるで蠢く巨大な蛇の腹の上で戦っているようなものだった。

 それに自走といったところで櫂船の決戦法は所詮白兵戦である。お決まりの衝角戦術に決定力に欠ける火砲、肝心の白兵戦要員である者達も漕ぎ手を兼任して体力面に不安がある。僅かな自走の為に得られる戦術的対価としては不利益の方が大きい。

 結果、海流と風を読み、それを利用する帆船戦術へと移行していったわけだが、この自然の摂理を読むということが戦術の根幹にある帆船戦術は海戦術の進化を永く停滞させた。つまりはどの国であれ条件は平等。海洋はどの国にも味方はしない。有利な風を得なければ戦にならない。常に一つの武器を取り合うようなものだ。よほど地理に恵まれ、その地形を熟知し、伏兵による奇襲や罠を張り、その実行を可能にする誘導に成功しない限り、海戦では簡単に相手を圧倒することは難しい。

 基本的に海洋には隠れる場所も無い、利用できる武器(風や海流)も対等である。条件は同じ。正面からのぶつかり合いが基本なのである。であれば圧倒的な数を集めない限り敵の撃破は容易ではない。要は数が鍵であり物量によって勝敗が決する。戦術において馬鹿正直で愚直な正面突破ほど程度の酷いものはない。だが海戦にはそれが強要されるのである。

 ではどうするのが最良か。軍略の問題である。
 いかに敵側の戦力の集中を妨げるか。敵国軍港の海上封鎖や予想海路による優勢な戦力での妨害による戦力集中の阻止。そして膨らみ得なかった敵戦力へ風上からの猛攻による殲滅。これが有効である、というよりこの条件でないと敵を圧倒するのが難しいのである。戦術の停滞とはこれを意味する。

 そしてそれらを強要したのは海上での機動制厳であるが、発達した蒸気船による自由な航行が前時代の海戦を、文字通りそのよく動く脚で一蹴したのである。そして機動の多様化と共に火砲も発達した。飛距離の増加、整備の簡易化と量産性の向上、主戦武器とすることによる砲兵の練度。その全てが、蓮月が昔日に幾度も退けた異国の海軍の比ではない力を有していた。

 だがそれらを慎重に吟味したうえで、蓮月豪徹はまだまだ自国の武力が勝っていると判断した。だが異国の技術の発展は目覚ましいものがあり、間違いなく蓮月とは別種の強大な力を育てつつある。

 これは脅威である。認めなくてはならない。
 そしてそれ以上に魅力的である。これも認めなくてはならない。

 都合の良いことにその新たな力に浮かれて幾つかの強力な国が懲りずに大々的な国交を迫ってきた。蓮月豪徹は内心ほくそ笑んだことだろう。
浮かれた(・・・)()は思慮を欠く。積年の苦い感情があればなおさらだ。

蒸気船という新
時代の力を目の当たりにしてついに蓮月も譲歩を見せた、折れたのだこれで以前のように何かと支払わされていた法外な税も消え、なにより初めて蓮月という国を後じらせたという威信が手に入る。
蓮月は医学の提供を求めてきた。いいだろう、くれてやる。いや、与えてやる。一つの歴史的な達成感に
友好条約を結んだ当時の火凛は
気前(・・)良く(・・)なっていた。

 だがそれでも前述したように決定的な慢心は与えなかった。
確かに世界の国々は目覚ましい発展を遂げつつある
しかしそれらの国の間でさえ蓮月はあまりに特異、その武力の甚大さは神代の威力である。最新医学を手土産に蒸気船で登場、これで対等な国交が結べれば足掛かりとしては十分である。火凛の人間専用の土地も与えられた。がんじがらめだった束縛も解かれつつある。国交開始時から確実に互いの文化はごく友好的に交換されている。

 そしてついに蓮月の力の象徴である
まさに一騎当千、いや、それ以上の力を与える不可思議な武具によって行われる闘技祭の観覧権も獲得したのである。
もちろんただ観るだけだ。触れることも譲渡も売買
も叶わないだろう。だがこれは間違いなく大きな前進である。

 関わることが許されたのだ。
扉が開かれた、足を踏み入れることを許されたのだ。立ち入りを許されたということは今後においての交渉の可能性を意味する。間違いなく
侵略(・・)は進んでいる。代わりに蓮月は造船技術の提供を求めてきた。火凛は応じた。ただ(・・)()技術(・・)などはくれてやる。そんなものは知ってしまった以上、欲してしまった以上、遅かれ早かれ手に入るものだからだ。

 だが蓮月にのみ太古より根付く異質な力は
欲したところで他国が生産し得る類のものではない。それは一度でもみれば理解に及ぶ。人は人の力量を越えたものを目にすると、それを本能が耳元で丁寧に囁いてくれる。そしてそれは長年語り継がれて口伝となり、伝説となり、神話の魔力を持つに至った。そしてそれを否定できるものはいなくなる。

 前近代
それを無視する侵略軍も当然として現れが示威行為を兼ねた業物衆による派手な迎撃によって神話は常に補填され続けた。おそらく今以上に技術が発展して国力が増してもそれだけでは蓮月を侵略することは叶わないであろうとの認識がある。技術の高低であれば競う余地はあるが人智を越えた力に力押しはあまりに無謀である。
まずは知ること。蓮月とて万能でない。あらゆる優勢な特異点を持ってはいるが神の国ではない。人間が治め
る、人間の住まう国、いや、島だ。つけ入る隙はある。現に新たな力を身につけて現れた火凛に対して対等な国交を結んだのがいい証拠だ。そして此度の造船技術の提供。

 これは大した脅威にはならないのである。蓮月が異国の列強と同等の軍用蒸気船を持つことに恐怖は覚えなかった。なぜならどれほどに蓮月が生産能力を稼働させたところで所詮は小さな島国。その生産能力には限界がある。

 ただの技術競争、ただの戦であれば負ける要素がない。というよりむしろ海洋へ打って出てくれたほうが都合が良い。海戦における歴史はこっちが遥かに上。結局のところ蓮月がやっているのは全て防衛戦である。あの不可思議で強力無比な武具を中心とした戦術でもって本土防衛をしているだけである。打って出るには蓮月水軍は質・量ともに脆弱に過ぎるのだ。だからこその造船技術の要求であろうか、いいだろう、くれてやる。それこそ好都合だ。交渉のつもりかもしれないが脆い箇所を曝している。もしかしたらこっちの知り得ぬ思惑があるやもしれんが、こっちはこっちの思惑がある。そして確実に蓮月の喉元に近付きつつある。さあ、戦争をしようではないか。火凛の上層部はそう考えているのかもしれない。




「もちろん豪徹公においては火凛のそのような思惑にも当然気付いており、引き出した上でそれに悠々と座している形になりましょうが」


 天厳帝が造船技術に目を向けると、諸見は以上の推察を打ち明けた。
そう、推察である。だが的中の自信はあった。近々に予定される使者の来訪で明らかにされるであろう。だが聞くまでも無い。それ以外に見合った対象がないのは明白だ。

 かぐや候補達の武力を見せる。
戦が起きた場合、それがいかほど敵側の戦術戦略に影響があるか。はっきりいって大した収穫は無いだろう。もとより異国の蓮月に対する戦の記憶、敗戦の記録の連なりなわけであるが、その全てに強力な月器の破壊力が記されているわけで、いまさら過少にも過大にも評価されはしないのである(さすがに時が立つとその記憶も薄れたりすることもあるが)。

 だがそれは表層的な判断であり、かぐや観覧権獲得の本質はいうなれば秘匿の公開にある。交渉によってそれを得たこと。『それ』とはつまり蓮月の天上力の象徴であり、太く脈打つ命脈の一本である月器。それへのかつてない接近であり、観覧という立場によっての冷静な分析の場を得たこと。それによってどれほど月器とそれに関する秘密へと肉薄できるかは未知数である。だがその新たな可能性を得たことが何を置いても大きい。ましてやそれが蒸気船等による培い続けた自国の力を背景にしていれば損ない続けた面子も大いに補填される。

 だが前述と繰り返すが蓮月攻略は月器攻略である。このような法外であり人外であり、あらゆる人の世の戦略を無力化する神の雷の如き武具に多少増加した武力で挑んだところで滅せられるのは目に見えている。であれば蓮月には無い、別種の、しかし魅力的な力でもって交渉するのが得策である。そして蓮月は乗ってきた。異国で育った、異国でしか獲れない新奇なる餌。それを玄関前でぶら下げてついに錠前を下ろしたのだ。

 もちろんどちらにも油断は無い。常に一瞬後には相手の喉笛に喰らい突く体勢でもって握手を交わすという状況だ。しかし蓮月が譲歩の形をとったことは紛れもない事実であり、火凛上層部は自らの取った政策に満足していることであろう。とにかくもまず知ることである。そのためには懐へ入らなければ始まらない。そしてそれを成した。決定的な初手を打った。ひとまずの、第一の満足であろう。



 だがそれは蓮月も同様である。どれほど他の国が月器を分析しようが意味が無いのである。材料の不明、製錬の不可、複製の不可。

 わかることもできることも何も無いであろう。しかして異国からすれば無視するにはあまりに特異かつ強大な力である。ではどうするか。対等もしくは対等に近い国交を結び、国に入り込み、友好的に近付くことである。そして少しでも内部より情報を得ること。

それは今迄あらゆる国が試みたことであるがいかんせん、手土産が粗末に過ぎた。が、近年異国の発展は目覚ましく、ここにきて魅力的な手土産を持って現れた。蓮月としては現時点では勝っている国力であるが、ここで世界的な技術発展の時流に乗り遅れればいつかはさらに力を増した異国にその優勢を突き崩されるかもわからない。

 国全体が海に覆われているというのは必ずしも防壁の意味にはならない。海とは癖の強い、しかし柔らかな道なのである。しかも蒸気船によってその機動の可能性は大きく膨らんだ。ここで自国の国力に胡坐を掻き慢心することは危険である。いつ異国が連合を組み、さらなる発展した技術による大艦隊を率い、蓮月全土を包囲したならば滅びるのは蓮月なのかもしれない。少しでもまともにものを考えられればその思考は甚だもっともなものである。



「であれば豪徹公、ここで造船術を得ることで水軍の発展を促し、制海権獲得へ乗り出そうとの思惑でしょうな」

 諸見はここまで一気に喋ると、一息吐き、これで終いとばかり杯を傾ける。



「・・・ということは豪徹めは異国への出兵、侵略を考えているということか?」

 優秀と評されたところであくまで過去の暗愚の輩と比べたことによる評価である。飛び抜けた知性や情勢を読む目を持っているわけではない天厳帝、諸見の口から吐き出された見識を耳に入れることはできてもその脳味噌によって充分に解き明かすことはできず、本来の凡庸な思考能力に用意できる解答を些かの不安を持って口にすることしかできなかった。



「その通りかと存じます。ですが・・・」

 次いで唐歌が口を開く。彼女からみれば天厳帝の解答、確かに間違いではないがよくて三十点四十点止まりである。しかし彼女は天厳帝の立場を、存在を、低くするような不敬は毛ほども無い。この会話においてもまず肯定し、愚説ながらと言葉を重ねる。この一挙動、言葉の添えよう、それさえにも眩いばかりの淑やかさと英知をみせる。


「出兵し侵略することはそもそもの目的ではないかと思われます。世界の情勢をみる限り、このまま外界の発展が続いていくようならば、畏れながら蓮月は滅びるやもしれません。例えばそう、もはや今でも百年二百年前には想像だにしなかった夢物語のような技術が現実のものとされて横行しております。今後、蓮月が大海の内で閉じ籠るその間、さらに異国が発展を続けたならば数十年後ならいざ知らず、数百年後に健在であるとはとても言い切れるものではありません。
であれば
現在(いま)こそ分水嶺、蓮月も決断し行動しなければなりません。現在(いま)ならば充分に間に合う範囲でしょうそういった点に関して豪徹公の対応は柔軟かつ強靭です。蓮月が培い損ねた技術を早急に取り入れ、進歩の遅れを取り戻しつつ国力を現代に即して進化させていく。国家の実働的な長としては文句のつけようがない対応でしょう。もし過去から高く積み上げられし戦果と頑迷な矜持に固執した二流の執政者であればここまで徹底的に情勢に合わせるは不可能だったでしょう。現在の情勢と歴史の常を鑑みれば蓮月が蓮月としての繁栄を維持していくには恐らくこれ以外に手は無いかと思われます。国力を増し、月器を中心に据えながらも軍備を現代的に拡張する、豪徹公の思惑は紛れも無くその一点に尽きるでしょう。
武力を捨て和平の道を採るには些か双方、特に外界各国に血が流れ過ぎております。蓮月が武力を捨てた瞬間、
地獄よりも溢るる積年の怨みの念によて悪鬼になりし異国の軍勢にたちまち蹂躙され亡国の途を辿るは明白。であればこそ豪徹公の方針は正しを得ます。蓮月
永久(とこしえ)の生命を得る為には外界の血を入れ肉と成してでも国力を増すことが絶対の条件でありまよって今の内に造船術を取り込み、制海権の獲得と共に近隣諸国と同盟を結び、又は併呑し所領を増やすことで無明の大陸からの進軍の防波堤とする。選択権は無いでしょう。それをしない限り、いずれは外界列強に攻囲され滅びるを待つのみです。これにより導きだされたるは国土防衛、蓮月の正当なる存続と隆盛、その永続を思えばこその国力の増大であり、無闇な戦火の拡大ではなく、あくまでとるべき道を取ったということになります

 つらつらと、長広舌を振るうことに許しを得るがように頭を垂れ、唐歌は喋り、そして口を閉じた。







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