京都御所。

 二蓮ノ城の北東約4町、城のすぐ傍に帝の居住する御所がある。
帝の居住地を囲繞する築地塀は石垣を基礎に均一精緻に構成されて見目美しく、御所に相応しい破格の風格を有している。

 門は六つあり、身分に応じて使い分けられる。
第一の門である照威門は帝その人と幕府将軍(現在では蓮月豪徹)のみ、いわば国の実質的支配者と象徴的支配者、この二名だけが潜ることが許されている。
 
 次に第二の門、高礼門。公武両家の高位の者が潜るとされる門である。牛車に乗った諸見は高礼門を潜り(牛車に乗ったまま潜ることは帝の許可がいる)、車留にて地に降りて、朝霧の間に控える。その後、重要な帝儀を執り行う翠稜殿の南半分を囲む回廊の西門《左掌門》を抜けて翠稜殿南庭へ入る。白砂の上で厳かに足を運び、帝の待つ廻珠殿へ向かう。



「朝霧の間で大人しく控えたかと思えば、左掌門を突っ切って我が物顔で近道、相変わらずですね、諸見」


 諸見が七殿五舎、いわゆる御所における後宮に足を踏み入れたと同時、待ち構えていたかのように一人の女人と出くわした。


「これは唐歌様。久しいですな、相変わらずの御美しさ、思いもかけぬ眼福にこの諸見の心も弾んでおりますぞ」

「よく言う」薄く笑い、

「だがな、いかにお前が天厳帝に気に入られていようが此処は帝のおわす御所ぞ、自らの屋敷かのように気儘な一人歩きをしていいものではなかろう」

「確かにそうでございますな。事前に大帝様より許可を得ていたもので、しかし身分を越えた行為でした。いかようにも御裁きください」


 淀みなく頭を垂れる。仮にこの場で首を落とされても不服など微塵も無い、眼前の諸見の姿はそう語っているが卑小さは無く、むしろ彼独特の異形の威厳さえ漂っている。



「もうよい。ここからはわたしが案内してやろう」

 もとより大して咎める気も無い、一言言えば話の通る相手であると理解している。唐歌と呼ばれた女人は踵を返し、廻珠殿へと歩き出す。


「唐歌様に案内してもらえるとは光栄の極みですな」

 諸見は破顔して追従する。



 黒富士 唐歌。

 京都御所後宮に於ける実質的な最高権力者である。
七殿五舎の中で最も格の高い
杼徽殿(ひきでん)を与えられており、杼徽殿女御とも呼ばれる。女御とは位に於いて帝妃に次ぐが、帝の寵愛と信頼、女官のみの後宮という特殊な環境を取り仕切る実際的手腕という点では、偶の気紛れで身体を弄ばれる帝妃とは比べ物にならない権勢を誇っている。

 だがそれもそのはずで出自が女傑であることを十分に示している。
唐歌は元々市井の生まれであるが、生来備えた美貌と気位、そして武の天稟により、20年前のかぐやを制して後宮に入った。



 かぐやの褒賞。

 これはその時々、制した人間によって様々に形を変えるが、絶大な権力を与えると言われる所以はこのような使い方にある。唐歌は後宮を選んだが、もちろん江戸蓮月城の大奥を選ぶこともできる。

 どちらにせよそこで子を成せば国の母にも成り得るのである。これは戦乱の世とはまた違う、女独自の天下取りともいえる。
無論、子を成せばいいわけではない。他にも多く帝や将軍の血を引く子は別の女の腹からも生まれ、血筋や家柄の問題もある、必ずしも自分の子が国の次代を担うわけでもないが、ただの市井の生まれの女がその才覚のみで後宮へ入り、帝と交わり、神の血族へ名を連ねるのである。これは奇跡としか言い表しようの無い権力の獲得である。実際、今のところ可能性は低いが場合によっては(相応しい血が唐歌の子にしか残されていない等の状況になれば)どうなるかはわからない。



(もはや色欲の権化でしかない帝の血脈。御所とはそれが脈々と受け継がれ肉と形を成す胎内窟よ。その中に於いて生来の武人としての毅然さで威光を放ちつつも人外魔境ともいえる御所の毒気も取り込み艶とするか。まことこの世にはかぐやほどに優れた女はいないものよな)


 諸見は唐歌の歩するただその背姿、賛辞が湧かずにはいられない。位でいえば帝妃に劣るはずである彼女に最高格の杼徽殿が与えられている事がもはや異例中の異例、その寵愛を窺わせる。

 格式とは形式であり外殻が命であって、中身などは所詮虚ろな入れ物に過ぎない。元はその中身を護り、守護する為に構築された形式格式。しかしやがてそれに最も重き命が宿る。人の内において意思や思想こそもっとも変容しやすく、腐りやすく、消失しやすいものはないからであり、形骸とは実体を失くしてから立ち現れる機能の怨霊なのである。そしてその格式に寄生することは人から思考を奪い品性を奪い、雲上の驕慢を育てる。格式の虚構の中で虚構の権勢を持つに至るわけであり、形式を崩すことこそ禁忌となる。


 もはや実権を失いし帝が住まう御所。それは蓮月最大の形骸である。実質無き御所が存在を保つには古くからの形を崩さぬことこそ大事、市井出身の女の為に高位の格式を弄るなど有り得ない、といよりあってはいけないことである。


 であるから表向きには帝妃に杼徽殿が与えられていることになっている。怨霊には怨霊の知恵があり生存への本能がある。例え中身が破綻していても外の眼、国民からの風評や価値さえ崩れなければ問題はない。もはや象徴でしかない帝に求められるのは外殻のみであり、内部など腐ろうが虚ろおうが大した問題ではない。


 といっても異例の事であることに変わりはない。
 ならば現帝の天厳帝。痴愚の血を色濃く継いだ愚帝であるかといえばそうでもない。むしろここ十数代の中では優れた資質を持っていると諸見は判断している。
酷い代の帝はそれこそ帝儀や祭祀をも疎かにする始末、格式が命の御所をそれこそ風前の灯の如くにする者もいた。全ての女官に御所内ところ構わず手を出し、外に漏れるのではないかと思われるほど多くの麝香が焚かれ、甘く蠱惑的な香りに包まれた魔所さながらの様相をみせていたこともある。


 それが天厳帝の代では御所内も祓い清められ、帝その人も精力的に帝儀を行っている。であれば帝の血に流れる淫蕩、ここにきてその濃度が薄くなったかと問われれば答えははっきりと否である。帝として帝儀や五穀豊穣の祭祀などを行うことは当たり前、自らの狭き桃源を盤石にする行いであり、疼く肉欲を忘却するように偉大な帝を演じることにより、いざ情事に及ぶ時の快楽を増加させるのである。

 つまりは単に公と私を使い分けている、ただそれだけであり、特別なことをしているわけではない。しかし歴代の帝の多くは御所を押し流さんばかり、爛れた私を垂れ流すだけの者も多く、現帝が優れているとの見方も納得がいくものである。

 そしてその偉大な帝を演じる理由、それも詰まる所は自らの肉欲の為だけというのが下賤に清々しく、御所の内情知る者のほとんどが蔑みを隠して畏敬を払う中、欲望の徒を好く諸見だけは帝に対して二心無き畏敬を払っていた。そしてそれを感じたからこそ天厳帝も諸見には厚遇を示すのである。


「着きました」


「ええ、御案内有り難く存じますぞ」


「よい」


 唐歌は応じると、


「天厳様、唐歌でございます」


「おお、唐歌か」


 襖越しに張りのある、明らかに喜色を含んだ声が返ってくる。


「京都所司代・諸見明久が参じました」


 続けて唐歌が伝える。後宮内、公の場ではないせいか口調も互いの間柄に応じた親しみを感じさせた。といってももちろん唐歌の親しみは畏敬に比べて控え目なのは当然ではあるが。


「来たか!固い礼などよい!はよう入るがいい」


 しかし天厳帝、諸見に対しても同様の親しみを込め、畏まる友人を急かすかのように声を上げた。


「では失礼しますぞ」


 諸見も表面上の礼にこだわる人間ではない。自らが下位の位の者にも許しているのと同じく、私的な時間で相手が許している限りはそうする。だがそれでも、仮にも相手は民族の頂点たる帝である。望まれたといったところで易々とそう振る舞える諸見はやはり尋常ではない。


「唐歌も入るがよい」


「はい」

 言われ、二人は廻珠殿へ入る。


「久しいな、諸見よ」


 彫り深い貌立ちに重厚な顎髭を蓄えた天厳帝の声は低くよく通り、明朗な威厳を示していた。


「ええ、まことに久しぶりでございますな。居住する地はこれほど近いというのに」


「確かに!御所から出るにも特別な用が必要だからな、帝とは」


 普段は中々に味わえぬ、何気ない会話という贅沢に天厳帝は愉快に一笑する。大したものでこの現帝、歴代の帝が全ての女官にところ構わず手を出していたという破廉恥な歴史をその代で立ち切り、御所内にもそれに相応しき規律を敷いていた。
といったところでやはり前述の通り、それも結局は自らの桃源を維持する作業に他ならぬ、
仮初(かりそめ)の威厳。例えばそそり立つ男根に更紗の布を掛ければその血走った猛りは隠せようが、獣欲はこからともなく漏れて臭う。御所もまさにそれで、一見したところの風格はごく薄い表皮であり、その下には生々しい肉の営みが脈打っている。


 だが、だがそれでもである。仮初であろうと御所にこれほどの規律が戻ったのはいつ以来のことであろうか。確かめる為に何代前の宮仕えの霊魂を連れ戻して話を聞かなければいけないかというほどである。


 もちろん御所内に勤める女官であれば現帝の実際やこれまでの御所の爛れた歴史を知るに至るが、帝の血脈の淫蕩を知れば天厳帝が如何に分別を弁えているかをも理解するに至るのである。


「左様でございますな。おそれながらこの諸見、所司代という重役を貰い受け、僅かながらですが大帝様の身の不自由、理解できますぞ」


 共感を示すよう、どうにも漏れ出る迫力をしまい込むように諸見、丁寧に笑う。


「何を言う。お主のほうが実際のところ余よりもよほど忙しいであろうに」


 人として、ただの所司代などには納まらぬ傑物であること最初の謁見で理解していた。その者ができうる限りの敬意(ほとんどの場合、本物の敬意など自らに払われていないことなど帝は重々承知している)を払っているのだ。
 形骸が生んだ権威の化物である帝の血脈。しかしどれほど神話逸話でその身を荘厳に化かしたところで、裸になれば所詮、結局のところ、帝も唯の人なのである。公を排した私的な時の中で、まともに、友好的な感情を示されれば嬉しいのは当然、相手へ気遣いを返し、もてなしの酒を入れる様子も見るからに嬉しげなそれである。


「いえいえ、結局この諸見のこなすことなど大帝様に比べれば雑事ばかりでございますよ」


「謙遜だな、まあよい、飲め。唐歌もな」


 言って帝自ら杯を二人に勧める。唐歌といえばいつの間にやら、熱に溶けた飴のよう、べたりと帝に寄り添い、淫媚に絡み付いている。この姿こそが御所での本来の唐歌なのであろう。帝の真なる寵愛を享受するただ唯一の女人。

 だがかといって生来から宿る武人の精髄、媚と色欲に溶けて流れたかといえばそうでもなく、その視線にも言動にも鉄線が通るが如しである。過去かぐやにまで上り詰めた生粋の武人であり、しかしその者が自らにだけは鉄の気位を取り払いて身体を開く。それがまた帝の多淫な男の芯を疼かせる。天厳帝は左手で杯を持ち、空いた右手でこの世において自分だけが触れ得る女の感触を愉しんでいた。腰から臀部に掛けて、そこにこそ、その曲線にこそ女の精華があるとばかり、愛でるなど上品さとは無縁の手つきで
(まさぐ)っている。そしてその帝に身を委ねる唐歌も一献飲み干し、弄る手に息も熱い。


「して、今日の用向きは?かぐやについてとは聞いてはいるが」


 酒精と女。

好色な人種、その性根が常に欲する快楽を両の手に侍らせて帝の声、ひどく明るく響くが、快楽の淵にずぶと沈みこんでいくよう、下卑たものが混じりだす。しかして帝たる者がこうも素直に欲望を露わにする、それこそ愛すべき人の性ではないか、諸見は大きく相好を崩して応じる。


「ええ、東山よりさらに東にある英僧山一帯を宴場とすることに決まっていることは御存じかと思いますが」


「うむ」話の腰を折らぬよう、杯を舐めながら、唐歌の感触を愉しみながら天厳帝は頷く。


「しかしそうなると規模があまりに広く、多くの見物がただ広大な山々を眺めるのみとなりましょう」


「それはそうであろうな。まかさかぐやのためだけに英僧山一帯を更地にするわけにもいくまい。いや、どうしてもというならば考えなくもないがな。まあどちらにせよそれは間に合うまい」


 それを聞いた諸見は寸間きょとんとして、

「英僧山を更地とはまた豪気な発想ですな!この諸見、思いもつきませんでしたぞ」
大きく一笑すると咳払いを挟み「いえ、天目鏡を使用させていただきます」


「天目鏡・・・おお、あれか!滅多に使用されんからすっかり忘れておったわ!」
今度は天厳帝が大きく一笑、「だが確かにあれを使えば山の中で戦うかぐや候補達の姿を観ることも可能であろうな」


「ええ、つきましては天目鏡を使用する許可を貰いたく参じた次第でございます」


「なるほどな」

 天厳帝は得心して頷く。

 天目鏡――大業物級の月器を鍛錬可能な純度の高い月鉱石でつくられた反射板であり、それらを正しく配置・調整すれば遠く視野の及ばぬ場所での出来事や光景を映し見ることができる。これは月鉱石の可能性を模索する過渡期、戦乱期以前に発見された使用法の一つであるが、貴重な高純度の月鉱石を大量消費することに比べ、その割りに見合った使用目的が無かった(国の需要が無かった)為に一度大がかりにつくられてからそれ以降、ほとんど使用されずに現在に至るという希少品である。そしてその使用法の特殊さから天目鏡を扱う者は神人扱いであり、その流れから当然保管されるのも帝の膝元になる。そして歴史の流れの中で緩やかに、天目鏡は数少ない帝の個人財産という形式(実権を失った帝に個人的な財力は無いに等しい)になっていったのである。それ故に使用するには帝の許可が必要となってくる。


「天目鏡の使用許可か・・・」

 舐めようとした杯を口元から遠ざけ、小さく。唇の形はいささか自嘲に歪んで笑う。


「そんなものは取ったことにして好きに使用すればよかろうに。わしの許可などただの形式、取った(・・)こと()()して()しまえばいいだけだ。所詮、帝の言葉なぞもはや何の力も持たん。口から洩れるは空虚な言葉の連なり、空の文言だけよ

 この場以外ではとても発せないようなことを、自嘲を交えど、負を感じさせぬ声色で。むしろ喜色さえ含んでいるのではないか。しかしそれは当然といえるかもしれぬ、好きなことを好きな風に言う。公私交えて爛れ切った過去の帝とは違うのだ、もはや真の尊崇など望むべくもないが、それでも帝としての体裁は整えている天厳帝である。自嘲すらも贅沢の極みか、その言葉は嬉々と弾む。


 そして対する諸見、帝のその物言いに言葉無くすような小心、毛ほども持ち合わせぬ。帝もそれを望むなれば豪胆にも話を逸らさず和らげず、


「しかしそれを言ってしまいますと・・・」
 言ったところ、しかしそれを遮るように天厳帝の哄笑である。まるで下卑た冗談に腹を抱える町民の如き気安さ発揮して、

「よいよい!その先は言わずともよい!まさかそれを言わせるわけにもいかんだろうに!」


「御内密にしていただけるなら構いませぬが」


 だがそれに被せて諸見が馬鹿丁寧に言うものだから天厳帝、さらに笑いだす。


「諸見、もういいでしょう」


 と、そこで男同士の会話を極力邪魔せずに侍っていた唐歌が見かねて割り入った。
さすがにそれ以上は言うまいとしたか、諸見もそこで一旦口を閉じ、破顔したまま杯を舐める。


「こんなに笑ったのは随分と久方ぶりのことよな」


 やっと馬鹿笑いを鎮めた天厳帝、しかし笑いの余韻を充分に残しつつ、

「形式を省いたら余の存在意義が無くなってしまうからな。それを無視しろというのは自らで死を望むと同義よ。外してはならぬ手順の一過程、それが帝という空虚な存在を実在たらしめるものならば喜んでその役を担おうぞ。天目鏡の使用であったな。よろしい。許可する。正式な許可も追って沙汰しようぞ」


「有難く存じます」

 諸見は深く頭を垂れる。


「して」


天厳帝はすぐに言葉を紡ぎ、

「此度のかぐやだが、諸見よ、どう見る」

 問いを投げる。声音も先程からの脂下がったような調子ではあるが、その芯には鋭さが微かに。



「素晴らしいですな」


 返す諸見、その瞳には歓喜が不穏に揺れる。


「白命と千鳥といったか、御所に籠りきりの余の耳にも入ってくる」


「ええ、その二人が水準を上げているのは事実です」


「水準を上げる、か・・・他の者も育っているということか?」


 さすがに筆頭二名の名こそ知っているが、それこそ世事には疎くなりがちな環境である。ましてやその存在は象徴であり、政治的な実行力などないことに加え、天厳帝自身に世の事を知ろうという過度の欲求は無い。無論、人並みに情報は入れているが、それは無聊の慰みであり、又、自身が帝を務めるのに必要だと思われるからである。正直、よほどの熱心を持って情報を収集しない限り、今回のかぐや、帝という位の者に白命・千鳥両名以外の名がその耳に入らないのは何ら不思議ではない。


 だが諸見は違う。


 白命と千鳥が抜きんでているのは百も承知だが、自身、何度も忍んで候補達を直接観ている。他の候補も充分に実力を兼ねていること承知の上であるし、その後の裏百家と獄門の報告もある。業物衆頭という掛け値なしの強者の賞賛を浴びた清香と咲夜もまた自分の認識よりもその武力は上をいくのであろう。

 すればもちろんそれらと同等と自分に映った琴乃も同様であろう。そして月蝕によって選ばれた風香、あれは他に比べるとちと脆弱だが所持する大業物が曲者だ。しかし弱さも計算のうちか、今の今まで報告に聞き及んでいる
あれ(・・)を未だ一度も三千月夜で使用していない。ここぞで勝つために温存するつもりか素性を聞けば随分健気な娘だが芯は硬く、良い意味で狡猾とみえる。それだけ願いが強いということだろう。出自と地力を考えれば当然であり、それが唯一の勝算であろうこと想像に難くない


「はい、他の候補も二人に対する為、その才を急速に開花させているものと思われます。といってももとより実力者達ではありましたが」

 諸見は答える。


「そうか。常に御所にいるとどうしても物事の大きな一面以外は捉え難くなる。何事も善し悪しとはいえ、こればかりは我が身の不憫であるな」

 と、その身をさして呪うがようでもなく天厳帝は言う。


「いえ、そう嘆くこともありませぬぞ。大帝とは常に最高の舞台のみぞを観るのです。その他の死合いや演武もそれぞれ良さはありますが所詮は全てかぐやへの余興でございます。そして此度のかぐや、選り分けて素晴らしきものになるとこの諸見、今ここで断言いたしましょうぞ」

 恭しくも自然と声も大に、諸見は言う。


「お前がそこまで言うか。なるほど、確かに此度のかぐや、随分と力が入っているようだ。英僧山一帯が舞台というだけでも大仰であるのに、業物衆の頭も半数参加すると聞き及んでおる」


「その通りでございます」諸見が引き取ると天厳帝、愉快極まりなく、


「なるほど、確かにまずかぐや史上でも例をみぬ舞台であろうな!そしてそれのみを興ずる帝とは不自由とみえて存外に贅沢の極致やもしれん!」

 認識も新たに天厳帝は言う。

 そう、帝とはかぐやにおける最高観覧者であり、御所より行幸する数少ない帝務の一つとされている。元来『かぐや』という種目は神事。神仏に、帝に捧げる儀式としてから端を発しているのだ


「その通りでございます」諸見は頷き、続ける。「もちろん最高の席を用意させております」


「うむ、聞けば聞くほど待ち遠しく感じるわ。真に娯楽として外に出るなど、かぐや観覧くらいのものだからな実際」言って、杯を煽りながら、もとより密着している唐歌をさらに引き寄せる。


「どうだ唐歌?かぐやと聞き、昔の血は騒がんか?」


 進んで水を差す無粋控え、花よと愛でられるに黙していた唐歌だが、思惟のほどを訊かれれば恣意のまま語るに何の遠慮も無い。どこか鮮血を匂わせる、凄艶と笑みながら、


「はい、血の滾りを感じないといえば嘘になります。しかも御所の奥にも自然と鳴り響く武名、ただ驚嘆と好奇とで端女のように囀るで満足するほど老いてはおりません」

 天厳帝に傅き、蕩けたようでいてその言葉、白刃のように閃き、剣気を飛ばす。
しかし天厳帝、その斬撃にも似た剣客の気勢に何ら臆することなく、目が覚める思いで見惚れているではないか。

 思うに淫蕩を極める帝の血脈、現帝がそれを手当たり次第に撒き散らさぬは本人の意識的なところもあろうが、実のところ唐歌の群を抜いた色香が強く作用している。要するに他の女が翳んで見えるのである。肉欲の徒がまさか霞を抱いて満足はするまい、目移りしないのである。

 世に言う極上の女とは何をもってその格を冠されるのであろうか。
例えば蓮座女・月宮を頂点とする高級遊女。これらは春を売るだけではなり得ない。いくら色を発しても艶が出るものではない。教養という確固たる心棒があり、そこから品位が生まれ、初めて色香が匂い立つ。

 しかも唐歌という類稀な女傑、高い教養と生来からの雲上の気位に加え、それらさえも脇にのける剛毅な武人の魂が脊梁を成して奔放と理知、情と規律、天人と俗人という相反するはずの様々の魅力を合わせ持ち、無二の輝きを放つ宝石として帝を虜にするのである。そして眼前の諸見も同様、彼の者には珍しい心からの敬服の念をもって彼女に魅入り、その言葉の続きに耳を傾ける。


「実際にこの目でかぐや候補達を見たことはないので断言できるものは何もありませんが、絶頂期のわたくしでも恐らく白命と千鳥には勝てないでしょう。その両者の武名、それほどまでに際立って響いております」


「伝え聞いた話だけでお前に負けを認めさせるとは・・・」天厳帝は驚きを隠せずに呟く。
 宮女となり、自らの女となったからといって、唐歌の魂を支える支柱、それは武人としての矜持であると天厳帝も察している。その誇り高いかぐやに対峙もせぬ内から自ら敗北を認めさせるなど並大抵ではない。そしてその思い、白命と千鳥の凄まじさ知っている諸見でさえも同意だったとみれ、


「あの二刀の大業物を操る黒富士唐歌様とあろうものが、噂話だけでその軍門に下ろうというのですか?」


 さすがに驚きも禁じえない、些か無礼ともとれる口調となるもいたしかたがない。天厳帝もまったくの同意、咎める者もいない。


「薄雲と紅雲ですか・・・」


 唐歌は己が持つ二振りの刀の名を口にする。


「あれを握るわたくしを打ち負かす者などそうはおりませぬでしょう。しかし条件で言えば此度のかぐや候補達は同等に近いかと。なんとなれば並外れた差はありえないでしょう」艶然と微笑み、思わせぶりな唐歌。


「同等?その口ぶりからすれば此度のかぐや候補達もお前の持つ月器に劣らぬ物を所有しているかのように聞こえるが。そうなのか、諸見?」


 しかし天厳帝の機知の効いた問いに諸見は首を振り、


「いえ、今のところそういった報告は正式にはありません。確実に持っているのは月蝕によって選ばれた風香。ですが実は先日、業物衆の各頭目が調べたところ、咲夜も持っていると報告を受けました。清香においては断言はできませんが恐らく持っているだろうとのことでございます」


「ほう、そうなると筆頭である白命と千鳥も油断はできんということか?」


 先程みせた機知もなりを潜めるかの発言、唐歌はあやして笑うように、


「わたくしは先程、条件は皆同じようなものと申し上げたはずです。全員業物以上を持っているでしょう」


 言えば天厳帝、目を丸く驚嘆させて「なぜ唐歌がそう断言できるのだ?」


「勘でございます」


 再び艶然と微笑み、言う。


「勘・・・であるか・・・」


 いささか不意を突かれたように呟く帝である。


「はい。女の、ひいては《かぐや》の勘でございます」


 と、ますます艶美に笑む。
これ自体、
女人(にょしょう)の可愛らしい戯れ言、ともとれるが、かぐやの名を持って発されるとたちまちに不思議な説得力を持って二人に響く。すればその不思議に力に満ちた柔らかき断言が男二人の緊張の糸を断ったかよう、天厳帝も諸見も一斉に笑いだした。


「お前にそう言われれば余としては信じるほかあるまいて!」


 愉快極まりない帝に比べれば些か冷静な諸見は、


「ですが確かに言わんとすることはわかりますぞ。古来より、優れた月器は優れた使い手に自然と集まりますからな。此度のかぐや候補の実力を鑑みれば唐歌様の勘、的中するは必然であるやもしれませぬ」


「よいよい、諸見!唐歌がこうまで言うのだ。もはやこれは決定事項であるぞ!」


 笑い、何物にも代え難き愛おしさを込め、匂いを擦りつけるかの如く、力強く唐歌を抱き寄せる。


「それに唐歌が参戦するわけではないしな。勝てるの勝てないのここで議論するなど栓無きことよ」


 先程までの会話で充分に気を良くした天厳帝は言う。興の尽きぬ話題ではあるが、この場ですっきりした解答が得られるわけでもない。ほどよく締めるが肝要よ。


「確かに。その通りでございますな。何にしても大帝と唐歌様には先程も言ったよう、最高の席を用意させますゆえ、当日に観覧しながら先の話をしてみるのも一興かと」


「そうですね。やはり此度のかぐや候補達、純粋に興味は尽きません。今から愉しみにしておりますよ、諸見」


「は、万事この諸見にお任せください」


 と応じた諸見、だがすぐに声色を先よりも若干硬くさせて言葉を続けた。











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