「琴乃さんって緋伊屋の用心棒だったんですねえ・・・くっそ、かっこいいなあ」


 風香は嫌味なく、屈託無く羨望を露わにする。


(なんでこんなことになった?・・・)


 ちょっとの挨拶、見守るつもりが、座談会。

 格言の類ではない。琴乃の心境である。
場所は再び琴乃の部屋である。もちろん三平もいる。
その当の三平が挨拶に行ったのが先程のことであり、すると目敏く琴乃も見つけた風香は駆け寄りて、あれよあれよと茶飲み話に発展したのである。


「いや、っていっても用心棒ってほどの働きなんてしたことないんだよ」


 まあ困惑は多少あれど迷惑というほどでもない、琴乃は生真面目に答える。すると風香、


「何言ってるんですか。実は隣で値引きをしつこく迫ってた図々しい人がいたんですけど、琴乃さんの姿が遠目に見えただけで貝みたいに口が閉じてましたよ」


「そういえばそうでしたね」


 三平も追従し、痛快さに二人笑う。
だが三平の笑い、その話のみに由来するものでもない。

突然の訪問という形になったわけだが、琴乃が風香を疎ましく思っている空気は無い。琴乃の人間関係、その硬さと歪さを危惧する三平にとり琴乃の風香への態度、そう悪いものではなかった。ひとまずの安堵と相まって彼の顔は明るい。


(わたしってやつは三平に心配ばかりかけてるんだね)


 何気ない会話に潜んだ彼の気遣いを琴乃は汲み取った。
弟分などといったところでその細やかな配慮は年長者のそれである、彼女はただただ頭が下がる思いであった。そして自然、隣にいる風香にも目は行く。


 二人ともこの前に顔を合わせたばかりだというのに随分と互いに気慣れている。知り合ったばかりの人間同士がすぐに仲良くなるというのはよくあることだが、ここまで気を許しているというのも珍しい。それはなぜか見ていて自然と理解させられた。
しかしそれに気付くは琴乃の聡さではなく、自らの短所ゆえ。

 三平と風香は互いの垣根を越えて、いや、排している。
秘密や裏切り。それさえも許容しうる全肯定。何がそうさせたか、そういったものをすでに持ち得ていると感じさせる。
そしてそれは絶対に垣根や溝を取り払えない自分だからこそ、持ち得ぬ異質だからこそすぐに気付いたのだ。


「風香はなんでかぐやを?」


 思わず口をついた。

 その問い、意図せず風香の不意をついたはずである。しかし、


「世を!・・・」


 まさに火を吐かんばかり、烈しく一言、切り返す。が、言うとすぐにいつもの調子、顔つき口調も柔らかくなる。


「もっと優しくしたいなあ〜・・・なんて」


 言い、ふにゃりとなんとも情けなく。
なれば先程、束の間の烈火のごとき言、夢や幻、乱暴に言えば何かの間違いだったかといえばそうでもないこと琴乃は察する。そしてましてやその火のような想い、鎮火さえしていない。
ただ矢鱈滅法に気炎を立てる、そんな
性質(たち)ではないだけ、烈火を凝縮した想い(やわ)く包み込むしなやかさ、柔軟さがある。これも自らに持ち得ぬものそしてそれには既視感があった。だがすぐにその正体に気付く。


 眼前の風香、その心根、三平に似ているのだ。この世に二つとあったのか、良識に燃ゆる魂。


「優しくって具体的にはどうするつもりなんだい?」


 羨望が混じってか、悪意は無しにしろ少々意地の悪い質問をする琴乃。だが自らが先程気付いた通りの芯の強さ発揮して、風香はきっぱりと即答する。


「底辺を無くします」


「底辺?」


「北州、4国、9集の圧政、蓮月全土の月鉱山における堀人及び月鉱山町町民の待遇の引き上げ、あらゆる特殊職能者へのいわれのない差別を排し、古来そうあったように神人としての尊厳を再び復権することです」


 言い終わるとまたふにゃり。どうにも長続きのしない毅然さである。が、彼女の真意と覚悟、伝えるにはそれで十分であった。


(堀人、月鉱山町・・・)


 しかし胸中呟く琴乃の顔色、見るからに青ざめる。
 忌まわしい凌辱の記憶が暴風となって琴乃の頭の中で荒れ狂う。
耳からも鼻からも嘔吐のように逆流して噴き出しそうだった。もはや顔色は駈け足で
死人(しびと)へと加速していった。尋常でない顔色だった。

が、気付いた三平が声を掛けるより早く、彼女は風香へ温度の消えた言葉を投げた。


「随分底辺に拘るけど、あんたもあれかい。その底辺の生まれだからなのかい?」


「ちょ、琴姉、そんな言い方・・・」


 琴乃の物言いに三平、反射的に抗議の声を上げる。どう見ても様子がおかしい。突然に何故?三平の胸中に不安が広がる。妾としてどのような凌辱に曝されたか、その仔細までは知らない三平、困惑は当然であった。


「いいよ、ありがとう、三平君。琴乃さんの言う通りあたしは月鉱山町の生まれです」


 風香も突然の琴乃の変化気にしつつも、その質問に温和に答える。
その音調には底辺に生まれ出でた者特有の自嘲や卑屈、斜視や歪んだ憎悪も無い。むしろ花よ蝶よと愛でつ育てられた武家の姫君のように情け深い風情さえ漂っていた。


「・・・」


 それを認める琴乃の顔色、ますます蒼く血の気を失い、冷えた苛立ちが沸き上がる。これは嫉妬であろうか。そんなことは認めたくなかった。月鉱山町町民など堀人同様に生まれ落ちた瞬間から理由無き暴力・凌辱の対象となる。

 もちろんそのような狼藉許す法令など無く、むしろ当たり前だが許さぬとする法令あるが、現実にそんなものは無きに等しく、幕府も鉱山兵達の狼藉を黙認している。ましてや眼前の風香、その百合の如き器量を弄ばれないわけがない。だがこの娘の崇美な様はなんであろうか。汚れを知ってなお汚濁することが無いとは。


「なんでだい?堀人や月鉱山町町民だって人間だ。どんな環境でもろくでもない奴らはいるもんだよ。底辺の環境をどうにかしたいのはわかるけど、かぐやになってまでそんな奴らも丸ごと助けてやるつもりかい?あんたが月鉱山町から出られたのは《月触》で反応があったからだろ?そんな特大の幸運をわざわざ屑みたいな奴らにまで使ってやる必要なんてないだろ?」


 冷えた口調に憎悪を乗せれば底知れぬ恨み節となり、それは三平を悲しみに沈ませた。そして風香も同様、いや自らが助けようとする人間が侮辱されたも同じで怒りこそすればわかるものの、まるで人の持つ憎しみの情そのものに憐憫を示すよう、静かに返した。


「確かにあたしは《月触》で月鉱山町を出ましたけど、運が良かった、じゃあそれでこんなところとは縁切り、なんてことはできないですよ。確かに酷い環境だったけど、そんなとこにもあたしの大事な家族や友人がいるから・・・」


 言って、一瞬、目を閉じて、瞼の裏にて縁故の人らを想い浮かべ、再会す。

 風香が月鉱山町を出られたのは特大どころでない幸運。
稀に月鉱山から出土する、時代の波に埋もれた業物や大業物。業物は都に送られるが、大業物はその前にまず月鉱山町で適性者の在否が行われる。これが俗に言われる《月触》であり、それにより風香は
旋棍(トンファー)型大業物『(すず)(むし)』を与えられ、三千月夜参戦を条件に月鉱山町を出ることを許された。それは《月触》適合者全てに付される条件であるが風香には好都合であった。自分に全ての堀人や月鉱山町町民を救うという機会が与えられたのだから

 決して褪せることの無い想いを確認し、風香は瞼を上げる。
そして幽鬼の如き青白い様相の琴乃がさらに言葉を紡ごうとするのをゆっくり手で制すると風香、


「琴乃さんの言い分ではまるで堀人や月鉱山町町民にも性悪な人間が沢山いることになってしまいますが、そんなことは決してありません。みな謂れのない暴力や差別を受けながら必死に生きているんです」


 それは些か幼稚な、非現実的な発言ではあった。
謂れの無い暴力や差別を受け続け屈折しない人間の方が珍しい。が、実際にそこで生まれ、自らも塗炭に塗れてきた者がなお言えば軽々しく幼稚とも言い切れぬその者独自の倫理の展開であり、一応の傾聴には値する。それを思ってか、なお言葉を繋げようとする風香を前に琴乃、今にも咬み付かんばかりに双眸光らせるも黙って風香の喋るに任せた。


「確かに色々ないざこざはあります。でもそれはあの環境のせいで、みんながしたくて傷つけ合い、悪事を働くわけじゃあないんです。あんな異常な境遇でなければ・・・。仕方ないんです、仕方ないで済ませてはいけないのかもしれないけど、だからこそあたしはかぐやになってあの環境をどうにかしたいんです」


 言い終えると、まるでそれを待っていたかのように琴乃、呼吸一つに怨嗟滲ませ、


「じゃあ堀人や月鉱山町町民には進んで悪事に手を染めるような人間はいないと?」


「はい」


 虐げられる者、その全ての代弁者であるかのよう、風香が頷くと、ついに琴乃の忍耐は切れ、怒気は内腑を破裂せんばかり膨張、そのまま撒き散らすようにして叫ぶ。


「いるんだよ!」


 風香と三平、先からどうにもおかしいとは思っていたものの、あまりに烈しい琴乃の爆発に凍りつく。

 けれど当の琴乃、すでにその双眸は現在(いま)を見ておらず、烈火の憎しみをもって過去の亡霊を焼き尽くさんとしている。その彼女の眼に映るはそそり立つ男根をはだけた長襦袢から見せつけるように覗かせる蜂屋の下卑た姿。醜く染まった肌を隠そうともせず、むしろ最下層とされる人間に犯される美女の屈辱絶望の様を愉しまんと頭巾も一切脱ぎ去った全裸の堀人達。蜂屋子飼いの隠れ月鍛と月鉱山町町民。それらが一丸、肉欲の鬼となりて琴乃を囲む。


 それらはまさに鬼であった。


 地獄に滑落した天女を食い散らかす鬼畜生そのもの、眼前の極上の得物に狂喜し、嗜虐を糧として生きる悪逆の徒。蜂屋は大量の月鉱石を横流しさせる褒美として金の他に一部堀人や町民に琴乃を味見(・・)させていた。

 

 琴乃は鮮明に掘り起こされた淫虐の宴に意識を放り込まれ、全身これ憤怒、黒い火柱の如く佇立する。


「・・・あ、あの、ごめんなさい、あたしはもう帰ったほうがいいみたいだね」


 風香は三平に言う。


 彼女の顔もまた先程の琴乃に負けず劣らず青白い。唐突に過ぎる琴乃の変容。風香の顔色悪いも頷ける。察する三平の血の気も悪い。


「は、はい。すみません・・・でも本当はこんな人じゃあないんです。とにかく今日はごめんなさい」


「ううん、いいの、わかってるから。三平君は琴乃さんについててあげて」


 即座に琴乃を擁護し謝罪を述べる三平に別れを告げると、琴乃に小さく頭を下げ、風香は緋伊屋を出ていく。

 

 しかしどうであろう。

 風香の顔の青さ。

 これもやはり尋常ではない。

 本来ならば三平、その細やかな優しい気の配りで気付いたであろうが、彼もやはり動揺が大きかったか、風香の異変に気付かなかった。


(三平君は気付かなかったのかな?・・・)


 風香は眩暈のする思いで、戦慄と共に思い出す。

 琴乃が最後に叫んでからすぐ、声にこそならなかったものの何事かを呟いたのを風香は見逃さなかった。

しかし三平が気付かぬのも無理はない。風香もやはり大業物を操るだけの才を持つ卓抜した人間なのだ。あのような場面で琴乃の呟き、その微かな唇の動きを瞬時に捉えて読み取る直感と洞察はそうそう人に求められるものではない。

 風香は今一度、琴乃の呟きを思い出す。

 

あんな奴ら全員殺してやる

 

間違いなくそう言っていた。

そして会話の流れを鑑みれば、それは堀人や月鉱山町町民に向けられた言葉であることは明白であり、琴乃には琴乃の事情や苦悩があるとしても、そのような悪鬼の言葉吐くに至れば、その人間の正義は半ば道を違えているとしか思えない。


(やっぱり何が何でもあたしがかぐやになるしか・・・)


 かぐやを控え、他の候補に比して実力の不足を自覚している風香である。その焦燥は如何ほどか、推して知るべしである。

 正直、それでもどこか安心している部分はあった。
他の候補、それなりの人となりは解っていた。いや、解っていたつもりであった。
自分がかぐやになれずとも正しき世の変革を成してくれるであろう者が他にもいる。風香の意識では琴乃もそういう人物と捉えられていた。だがそれも過去の話、過ちであった。先程の気の違えたような琴乃の様。理解していたつもりの彼女の像、粉微塵に砕くに足る禍々しき激情であった。

 もちろんそれが彼女の全てであとは紛い、とは言わないが、自分が勝てずとも他の候補が世をより良く導いてくれるだろうの、そんな甘い考えは当然もてなくなっていた。


 琴乃の正義。


 例えばそれは色彩玄妙な浮世絵、舶来の構成精緻な絵画、とにかくも完成された一枚絵、それに一筋亀裂を入れた大きな破綻。

 破綻とは何も全てを壊す必要はなく、一筋大きな亀裂が入れば世界は断絶、ちぐはぐにずれつ不均衡を曝す。琴乃の心も同様に亀裂が入り、そこから悪いものが噴出して全てを穢してしまっている。

 これにより他の人間(他の候補達)を疑うわけではない。

 今日の琴乃を見ても尚、清香は信頼に値して映るし、それは咲夜も同様である。
白命や千鳥は正直なにを目的としているか解らず、その戦いぶりに肝の冷えるところもあるが、だからといって彼女らがかぐやになり世が崩れるとも思えない。

 清香など自らと目的を同じくしているとみえる実力者もいることで心のどこか安堵というか、保険のようなものを感じていたのも確かである。しかし目的を同じといってもやはり優先順位には個人差はあるだろうし、月鉱山関連の環境を変えるならば出自を月鉱山町に持つ自分こそが適任である。

 そんなことは解っているはずであった。が、他候補達との実力差がそういった気後れと消極性を生むこととなった。元来、闘争とは無縁の心の持ち主なのであり、それを考慮すれば、その気後れと消極性は彼女の覚悟の不足と非難することはできない。


 けれどもそこで今日の出来事。

 網膜を焼かれたよう、憎悪に巻かれる琴乃の姿が焼き付いて離れない。

 だがそれが風香の気後れをも焼き払った。

 そして風香は自分の望む世界を手に入れるにはやはり自らが勝つしかないのだと思うに至る。


(勝つしかない)


 命題のように心に刻む。

 腰に下げた『鈴蟲』に触れる。
地力は候補の中では最低に位置するかもしれないが、自分には鈴蟲の反則めいた能力がある。それを使えば勝機はある。


(お姉ちゃんはかぐやになって帰るからね)


 決意に優しさを込め、月鉱山町に残してきた家族を想う。

 

 かぐや開始まで約一月。

 運命は加速していく。








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