なぜであろうか、清香は白命を待つ間、不意に昔の事を思い出していた。
父と共に過ごした幼少時代。彼女の原風景。

 いくつの時か、七つか八つ、まだ子供、しかしその眼に映るは悪逆非道な人の性。

 堀人が月鉱山町に月鉱石を納めに来たところ、年老いた堀人が身体の不調によって膝をついた。老いてなお奴隷の身、酷使し続けた身体は軋み、内部は病巣となり果てている。

 すると心の強く清い町民が老いた堀人に近寄り、声を掛け介抱した。

 堀人は月鉱山町の者といえど限られた人間しか接触はできない決まりであり、そしてその青年にその資格はなかった。しかし人が人を助ける、それになんの資格が必要であろう。許可無いものが堀人に触れる、その代償が例え死罪に匹敵しうるものだとしても。

 そしてそれを目敏く発見した月鉱山常駐軍兵(通称鉱山兵)は堀人もろとも青年を痛めつけ、嬲りものにした。
鉱山兵は下卑た性根を隠そうともせず声を上げて加虐を愉しんだ。

 禁忌を犯したのだ。それが如何に理不尽で歪んだ決まりであろうと破ったが最後、弱き者の命はただの即席玩具である。
乱暴に遊んで壊れればそれで終わり、老いた堀人は早々に嬲り殺された。老人の生、それは理不尽な掟に酷使され、最低の人間に殺されて終わる、ただそれだけの人生であったのだ。

 歳など関係は無い。真っ当な心根さえ備えていればその光景、とても義憤に堪えぬ。

 父と共に近隣の月鉱山町に買い出しに来ていた幼き清香、すぐにも駆け出そうとしたところ父に腕を掴まれた。

 なぜ止めるのですか?

 清香は滅多に無く、激して言った。

 それでは誰も助からないのだよ。

娘の挙動と口元をさりげなく押さえ、父は言った。

 あの男性は助かります!

 乱暴に枷を外し、いまだ暴虐に曝されている青年を指差す。

 助からないのだよ。

 父は静かに言った。

 なぜです!

 清香は初めて父に牙を剥いた。

 ここで彼の行動を支援するような者が現れれば、町民全てに叛意ありとみなされ締め付けが厳しくなる。今以上に締め付けが厳しくなれば毎日死人が出ることになる。その発端となった青年は間違いなく見せしめに殺される。それを解っているから誰も関わらないのだ。それが最も被害を最小限に留める方法だと知っているからだよ。

 父は言った。

 清香は子供にあって聡く、父の言葉の意味を重々理解した。

 でも、だからといって傷つけられている人を見過ごせというのですか?

 理解はできても沸き上がる憤りが受け入れることを拒否していた。
なぜ父はこれほどに冷静なのか、父に対しても怒りを覚えた。
初めて持つ反意。幼い清香の義心燃え立ち、その心は正義を成せと四肢の駆動を激しく請求してくる。しかし清香を掴む父の力凄まじく、振り解くこと不可能であった。

 見過ごしてはいけない。この光景を目に刻み込んでおきなさい。国の悪しきをよくみておくのだ。今お前がすべきことはそれなのだよ。

 父は言った。

 娘は黙った。

 納得はできなかった。

 しかし事実でもあるともどこかで理解していた。だから食い入るようにみた。悔しさで涙が流れた。気付けば父の腕を掴んでいた。激痛に堪えるよう父の腕を万力のように締め付けていた。爪が食い込み、腕の皮膚は破れ、その下の肉が抉られて血が流れた。

 だが今の父にできることは静かに娘の激情を受け止めることであるとばかり、彼はただ黙って立っていた。

 

 

 時刻は暮れ11刻。

 清香は目を閉じ、追憶が通り過ぎるに任せた。

 世は眠りに落ち、静寂に満ちている。
時折、寝息のような微風が戸口を揺らすが、木と木の触れ合う柔らかな音は夜のしじまを乱すことはなく、ただ穏やかである。

 彼女は先程の追憶にあえて思いを巡らせること無く、時さえ忘れるよう、己の内、精神を研ぐ。


 手には抜き身の龍切。

 正座した腿の上に添えている。ここ最近の清香の日課である。龍切の力を一端なりと体内に受け入れて以来、欠かさず行っていた。

 日が出てからは技と身体の鍛錬、落ちてからは精神を鍛える。
日毎繰り返し、少しずつ龍切の力を血に混ぜる。これが清香にとって最も堅実であり最短の方法であった。神剣の力はいわば猛毒。どれほどの傑物ならばそれができるというのか、一息に飲み干すことなどできない。

 自己を滅却し、個を世の理へと融和させる。人の強さであり弱さであり、決意であり迷いである自我を心頭から滅却し、世の循環の中へ返す。

 ただ流れを感じること。我を没し、全を識る。

 

 清香は不意に気配を捉えた。

 白命が接近してくる。

 昼より随分と早く気がついた。

 しかしそれでも幽鬼かつむじ風でも捉えているかのような気配の薄さ。どんな鍛錬を己に課せばこうまで存在を殺せるのか。驚くべきは通常の状態でそうであるということである。
存在が常体で半透明。もし彼女がその気になれば、今の自分など音も無く殺されるのではないだろうか。それを思うと、深く世に溶けあった意識も狭小な自己の内に引き戻ってしまう。

 崩れた瞑想を繕うような時間も無い。

 清香は自らの未熟に嘆息すると、龍切を鞘に収め、戸口へ目を向けた。

 すれば見計らったように、こつ、こつ、と来訪を告げて戸を叩く音が上がる。

 息を飲み、一拍置いて、

「はい」

 清香が答えると、

「わたしだ」

 鋭く一言。

「どうぞ」

 そして開かれた戸の向こうには月夜を従え立つ白命。
ともすれば眼前に於いても見落としかねない気配の薄さだが、そしてまるで矛盾に響いて聞こえるが、その存在の濃さ。その身には無と凶が同禽しており、帝の血筋など紛いであると、これこそが天に選ばれた存在だと断言するに足る絶後の気配。

 清香、どうにも止められぬ。意識下での立ち合い。様々に刀を振るう。そしてすぐに終了。どれほどに刀を振るっても太刀打ちできぬと、解り切っていたことを改めて悟る。

「入るぞ」

 白命は無機質に言い、敷居をまたぐ。

 清香はまたも緊張に息をのむ。

 理由は様々だが一括りにすれば、白命が自分に接触してくる理由の不明である。加え、なぜ龍造寺の姓を知っているのか、もしかしたら行方の知れない父とも関係のある話かもしれない。そう思うと、どうにも気持ちは揺れる。

 そしてそれとは別、白命に対する武人としての畏敬がある。
御披露目で見た千鳥も確かに凄まじいものがあった。鬼人の系譜に連なるが如し凄惨さをみせつけた。しかしそれは白命も同様。千鳥のような剥き出しの獰猛は無かったが、その力量に見劣りはない。それに加え、白命には単純な武力とは別、あらゆる技能がある。多種の武器の熟練、大業物いらずの強力な忍術、これは勝手な想像ではあるが知識も豊富で常に冷静沈着。

 畏敬。砕いて言って清香は、すでに天武を完成させた白命に憧れに近いものを抱いているのである。自己の未熟や甘さを知っているからこそ、求道者の面を持つ清香、自らが極めんとする道を制覇したにみえる者へ憧憬を抱いたとしてもそれは仕方がないことである。
だがそんな白命の欠点を挙げるとするなら、無機質に過ぎるところである。誰とも交じわることなく、氷塊を思わせ、凍てて孤高。

 しかしその彼女が自ら接触してきたのだ。これら理由をすべて含めれば、清香の心情察するは容易い。

 白命は清香の目の前に座る。

「あ、お茶を淹れますね」

 自らの緊張によってその程度のもてなしさえ失念していた清香、慌てて立ち上がろうとするも、白命に制された。

「いや、気遣いは無用だ。長居するつもりもない」

「そうですか、わかりました」

 清香は返し、上げかけた腰を戻す。会話が始まったことにより硬さこそあれ、無駄な緊張は幾分和らいだ。

「では」

 白命を真っ直ぐ見据え、清香は口火を切る。

「本日の用件は一体?」

 すると白命、小さく頷き、

「父に会いたいとは思わないか?」

(え?)


 思考が消える。

 ただ一言、されど一言。清香を呆然自失させた。言葉の意味は文脈的には理解したが、清香の思考は飛んでおり、その言葉の意味を解釈すること不可能であった。

「龍造寺忠人。お前の父で相違無いな?」

 しかし清香の呆然など時間の無駄とばかり、白命は確認をさせることで清香の意識を引き戻そうとする。

「え・・・あ、ああ、はい、そうです、そうですね・・・忠人は僕の父です・・・父ですね・・・」

 清香は聞かされた言葉の意味、自ら語る言葉の意味、それらをゆっくりと咀嚼するよう、その意味を噛み締めるように呟く。

 清香は眩暈のする思いであった。父の名を口にする、それだけで幼少の頃に共に過ごした記憶が溢れだし、その追憶は単純な喜怒哀楽では表せない。
そして先程通り過ぎた記憶。あの時、父はどうしようもない現実があるということを、人の持つ悪意を、幼かった自分に示してくれたのだろう。

 突然に消えた父。しかし予兆はあった。
姿を消す前夜、龍切を手渡された。そしてその適性を示した。それを見届けた父は、もし国の有り様に疑問を持ち、正さねばならぬ歪みをみるのならこれを使いなさい、そう言った。当時、清香は齢も10になったばかりだが、すでにものの本質を見定める眼を持っていた。清香は即答した。
はい、父上。
この時すでに月鉱山町など貧民層の悲惨をいやというほどみていた。そしてそれを主導する国への疑問も是正の意思も充分に育っていた。即答する清香を見る父は、泣きとも笑いとも憤りとも悔恨ともつかない不思議に胸を締め付ける笑みを向けると、それならばかぐやを目指しなさい、そう言って床に就いた。

 そして翌日には父は消えていた。
帰ってはこなかった。時々、長く家を空けることはあっても言付けがあった。しかし今度はそれもない。前日の父は少し様子がおかしかった。
一人分広くなった家の中で漠と立ち、
どの(・・)よう(・・)()こと(・・)()なったか、幼くして聡明な清香は状況をぐに理解した。寂しさはあった。強がる意味も無い。悲しくもあったがしかし、恨むことはなかった。見捨てられたわけではない。だからこそ様々なものを授けてくれたのだ。一人で生きていく自信もあった。父の言葉に従い剣を磨き、かぐやを目指す。途方に暮れる暇などなかった。

 そして5年後に京に上り、2年掛け、かぐやまで目前となった今、父の名を知る者が現れた。

「もういいか?」

 その者は言う。

 口調に温かみは無いが、清香の心中落ち着くまで最低限の間は待ってくれたようである。

「はい、すいません」

 言って、深く息をつく、

「父に会いたいかと訊かれましたね。そうですね、会いたいですよ、もちろん」

 本音である。恨み事など言うつもりはもちろんない。そんな気持ちは持ったことも無い。ただなぜ突然姿を消したのか、その理由はなんだったのか。素直にそれを問いたい。怖さもある。何が怖いか。父の真の内面に触れることである。記憶にある父は思慮深く、厳格で、しかし不意に微笑みかけてくれるような穏やかな優しさを持つ、父性の聖人のような人であった。だが今となって思えば、その父性のさらに下、底には、淵源には、阿鼻獄さながらの暗黒が広がっているのではないか、そんな考えを抱く。考え過ぎなのかもしれない。だが幼い時分にも父の内面の暗がりを感じることはあった。

 が、それはそれでいいとも思う。共に過ごした10年、その父の優しさもまた嘘ではなかった。少なくとも清香はそう信じる。要は清香の知らない父の他面か本性か、会ったとしてそれを今の自分が受け入れられるかどうか。自らの潔癖を穢すことなく、どのような事柄であろうと受け止め許容することができるかどうか。

 稀に感じた父の底深い業炎。自らが歪になるかもしれない。清香にはそれについての不安があった。自分は清いままでいられるか、と。

自らの潔癖にこだわる自分を父は笑うだろうか?
ふとそんな思いが頭をかすめる。だがこればかりはどうしようもない。誰に笑われようが自分の全ての志も理想もそこから生まれたもの、捨てることも汚すことも清香には耐え難かった。


(まあ、無理だろうがな)

 清香の葛藤を見透かして白命。

 なにか特殊な術を施した、などではない。忠人から聞いた清香の性格、そして京で見た実際の清香の人となり、統合すれば眼前渦巻く葛藤、見抜くは容易い。術といえば術であるがせいぜい読心術。心の声が直に流れ込むわけでもない。深い洞察はもちろん必要ではあるが。

 しかし清香が不安を持ちたることもまた彼女の直感の成せる業か。忠人は清香に何も告げていないはずである。しかしある意味、清香は忠人をよく理解していたのだ。しかと把握しているわけではないが意識下にある直感の先端が事実に触れ、認めていた。

 清香がよく知る父、円熟に達した人格者の姿もまた偽りではないが実は
(おぼろ)障子に浮かびあがる影絵のごとく輪郭のみで肉は備えず、よくよく奥を覗いてみれば、複雑に絡めた手指にも似てその心恐らく混沌・・・。清香自身、はっきりと意識しきっているわけではない。いまだに皮膚感覚、父の闇を、どこからか吹いてきた風に反射的に身体を震わせる、という具合、何も具体性は無い。であるからこそ清香の直感際立って鋭いともいえるわけなのだがだがそんな清香の心情に別段の興味を示すわけでもない白命、話を続ける。

「お前の父である龍造寺忠人は9集にいる」

「・・・9集、ですか・・・生きているのですね」

 清香は呟く。もちろん嬉しさもあるが話が唐突過ぎる、万感寄せる前に事実ばかりが押し寄せて些か間抜けの体で応対する。

「息災だ。忍術宗家である()(りん)に、まあ、食客として身を寄せている」

 細かく言えば大分違うが、細かく説明してやる必要はない。嘘を方便に、的確に事実を隠し、効果的に演出し、心を欺く。それが今自分の成すことだ。

「忍術の宗家に、ですか・・・なぜそのようなところに・・・?」

 父の生存へ思いを馳せる暇も無い。白命の言葉を追っていく。

「詳しい経緯は追々話すとして、その目的を一言で言うならば、お前と一緒だ」

「僕と一緒・・・」

 小さく反芻し、やっと現実に感情が追いついてきたか、意味を理解し、頬に仄かな赤みが差す。沸点を越えたよう、一斉に心が沸き立ち、繰り返して歓びが弾けだす。

 遠く離れた父と娘。

 数年に及ぶ別離の時も、実のところ同様の志によって結ばれていたのだ。

 共に国を正す。

 白命の言葉をそう解することによって、清香は父に感じる一抹の暗然たる気持ちに(ふた)をした。それは潔癖ゆえの清香の弱さであるのかもしれない

 確かに白命の言葉からそのような解釈はもちろん可能だが、説明が無さ過ぎる。都合良く解するには少々気が早い。しかし清香は『目的は自分と同じ』その言葉によって完全に父を正当化させ、また自らをも納得させてしまった。

「現在、蓮月各地では国の有り方を憂う者達が結束し、組織として動きつつある。虐げられる民の無い国をつくろうとしている者達だ。しかしそれには幕府中枢に橋渡しとなる人物が必要となる。そしてそれを志同じく、信頼できるかぐや候補に頼もうという話があってな」

「そんな人達がいるんですね」

 淡々と告げる白命に清香は相槌を打つ。

 突然明かされた父の消息。それに対する動揺も一応の落ち着きを得て改めて聞けば白命の話、予想の範疇を逸している。

 しかし耳に痛い話ではない。

 むしろ胸躍る。

 自らと同じ理想を掲げる者がそれほどにいるのだ。幾百幾千の後押しを受けたよう、清香の義心、頼もしく燃え上がらんばかりである。
しかしこうなると、もはや何が何でも自分がかぐやを制する必要などないのではないか、そうも思えてくる。なぜなら今の話を聞けば、その橋渡しの人物として白命が三千月夜に参戦したのだろう、清香は想像する。申し分のない実力である。

「ではその為に白命さんはかぐやを目指すのですね」

 であるからその思いのまま訊いた。

 しかし帰ってきた言葉は清香の考え裏切り、それこそ再び(まなこ)を呆然と開きたるものであった。

「違う。わたしはかぐやになるつもりはない。今言った橋渡しの人物、それはお前だ。お前の父、忠人殿が推したのだ。反対は無い。大した人物だぞ、お前の父は」

 本当にそう思っているのか、白命は事務的に伝えるべき事を伝えていく。

「え、なんで・・・?」

 一方、清香は困惑。しかしそれを無視して白命は穴を埋めるよう、説明を加える。

「わたしはただの導き手、お前をかぐやにする為の協力者だと思ってくれればいい」

「いや、でも、白命さんの方が相応しいのでは・・・?」

「わたしは人の上に立つ人間ではない。それとも清香、お前はこの役目、自ら負うのは嫌か?」

「そんなことはありません!・・・」

 が、自らと白命、比べる形になれば気後れするのも事実であり、また話も唐突すぎ、即断しかねた。

「別に今ここではっきり答える必要はない。ゆっくり考えるがいい」

 清香の迷い見透かして白命。

「だがこれだけは言っておくが、わたしはお前の敵ではない。よって対戦することはない。かぐや本戦でもできうる限りの助力は惜しまぬつもりだ」


「・・・・・・」


 白命の言葉を受け、清香は目を閉じ、それで正しい道が、光明が暗中差すわけでもないが、視界を闇にし、いまだ混乱する己が心の内に分け入る。そして泥寧から砂金を汲み取るかのよう、自らにとり絶対の理だけを汲み上げる。

 すればおのずと迷いは晴れ、心は決まる。

 静かに開いた目は白命を見据え、はっきりと、

「いえ、ここではっきりとお答えします。今のお話、御受けいたします」

 何を迷う必要がある。何もかもが唐突、逡巡こそ生まれたが自分がかぐやになる可能性が増したということだ。

 父を信じよう。

 すれば如何に話が突飛に展開しようと何を訝しむことがある。

 父を信じよう。

 すればこの件、実際のところ清香にとって弱味である幕府入りした後の身の振り方、幕僚として信を得るには如何にするが有効かなどに対して実りある知恵も得られるだろう。

 父を信じよう。

 すれば元より畏敬のある白命、同様の信を置くに戸惑いはない。

 純粋な剣力で武人の誉れを勝ち取る。それをもってかぐやとなれればそれがもちろん理想である。

 だが、国を正す。

 この巨大な一念の前には武人としての矜持に固執することは矜持の履き違えもいいところだ。それを貫き通すことで国が変わるのならそれもいいかもしれないが現実は違う。

 なれば白命の届けてくれた父の意思、応えるだけである。

 正直、迷いの晴れた頭で考えれば白命の話の不透明性に気付かぬ清香ではない。しかし信を置いた以上、邪推など以ての外。何も隠されているわけではない、先程も言われた通り経緯は追々語ってくれるだろう。

 ならば全てを信じよう。

 心が決まればこの縁、この出会い、父に龍切を手渡された日から定められていたかに感じるのである。父の教えに従いここまで来た、そして決定的な転機を与えてくれたのもまた父である。

 清香は自らの信義と正義に賭けて父の導きの下、かぐやになる決意を新たにする。

「・・・・・・」

 白命はそんな清香を探るように見据える。

(乗ってきたか)

 それも予想通りだ。白命は思う。

 柔弱で堅固。えてして正義感とはそういうものだがしかし、この決断と切り替えの早さは評価に値する。

 であれば、まずは清香の甘さを徹底的に削ぎ落とす。生半には難しいであろう。なんせ生来の甘さだ。

 白命は思う。

 断崖から突き落とすのでは足りない。

 天から奈落へ。

 行くのは王道覇道でもなく、踏みしめるは薄氷でも茨でもない、鬼道、修羅道、骸道。

 そこへ至れなければ如何に神剣使いの素養を持てど用無し。持ち腐れた宝のよる半端な力はむしろ不安要素にしかならない。自分は清香の導き手だ。うまくやらなければならない。効果的に演出し、欺くのだ。

「清香」

 呼び掛ける。そう、演出だ。それが大事なのである。

 白命は微笑む。空疎な地に突然花が咲くよう、信じ難く鮮やかに。

「これからは仲間だ。共に国を変えていこう」

 白命の信と微笑み。その希少、特別性、付き合いの長短など関係無く理解できる。

「はい!」

 清香の声、自然と弾む。

「すぐには無理だが・・・そうだな、かぐやを制した後、忠人殿と会える機会をつくろう」

 笑顔を固めたまま白命。

「ええ、僕もかぐやが終わるまではそれに集中したいので」

 興奮を隠さず、清香は応じる。すると白命、顔に刻んだ笑顔を消し、いつもの厳しい顔に戻ると、

「そうか、ではかぐやについてだが一言いっておく」

「はい」

「相手が誰であれ勝ちを譲ろうなどと考えるな。理想が同じ者であれば負けたとしても自分の代役が務まるなどとは思わぬことだ。例えば咲夜、お前は信を置いているようだし確かにそれに値する人間なのだろうが、今回の話は忠人殿が信を置く実の娘だからこそと納得している者も多数いる。ようは忠人殿に対する信頼がそれを可能にしているわけであり、清香本人への純粋な信頼ではない。そのお前が負け、代理を推挙したとしても誰も納得などしないだろう。ゆえに此度の話の実現にはお前がかぐやになることが絶対条件なのだ。分かるな?」

「・・・はい」

 重く頷き、決して負けられぬと理解する。

 かぐやになれぬはすなわち七年という不通の時を経てなお自分を推してくれた父の信を裏切ることになり、なおかつその父を信じる多くの者達の信をも裏切ることになる。実際のところ勝手に組み上げられた話に勝手に組み込まれているだけである。それに応ぜぬとも清香に恥じ入るような非はない。しかし彼女はこれに応ぜぬこと不義ととる。

「わかっています。元よりかぐやになるつもりでしたから。心配には及びません」

 澄みし眼に火が灯る。

「そうか」

 白命は頷く。何もかも予想通りの清香の反応に。

 信じるということは必ずしも美徳ではない。自ら信じたのならどのように裏切られようと恨むは筋違い。それで恨みつらみの積もるはただの阿呆。白命の話、ほとんどが嘘である。かぐや本戦が終わった時、はっきりするだろう。清香が阿呆か、それとも別の何者か。

 ともあれ今のところ全ては順調。

 かぐやまで一月と少し。

 運命は刻々と廻り続けている。






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