挨拶はすでに終えた。

 次は少し踏み込んでみるか。

 誰に文句も言わせない、正しい手順だ。獄門は思い、実行した。

 動きは先の拳打と寸分違いない。単純そのもの、対象へと真っ直ぐに接近。
しかし今度は簡単に懐近くまで潜り込まれた。

「ちっ」

 直線的な左の拳打をかわし、後退する咲夜。
それを追う獄門。再び懐へと潜ってくる。
踏み込みと追い足が尋常でない。先程は簡単に捌けた動きであるが、瞬発が増しただけでこれだけ戦局は変わる。基礎能力の重みというものがはっきりと解る良い例である。 

 そして咲夜、二発三発と速射されてくる拳打をかわし、再び距離を取ろうと飛び退ったところ、驚嘆する羽目に。
飛び退こうとしたところにはすでに獄門の姿。
さっきから立て続けの左の拳打。できることなら咲夜は獄門の左側面へ、つまりは獄門の攻撃軸から外れるように移動したかったが、それを許さぬ獄門の追撃。
放たれる拳打の一発一発、避けるだけで随分と集中を使う。咲夜にしたところ、わざわざ後方へ飛び退くという避け方は好ましいものではない。
 いや、一旦後方へ退くこと自体悪くは無いが、それはあくまで自らの攻撃に繋がっていく場合において、である。ただ退くだけでは退いただけ相手が追撃してくる。

 では打ち合いながら自らの距離を保ち迎撃するか。
馬鹿な。それこそ無理難題である。徒手による格闘術においては獄門の方が二枚も三枚も上手であろう。
 咲夜としてはとにかくもまず、一旦立ち位置を戦闘開始時にまで戻したかった。
だが獄門、距離を開けることを許さぬ。まるで咲夜を試すよう、咲夜の思考能力が死なぬぎりぎりの線で追い詰め続けてくる。この状況で大きく逃げずに『どうするか』を見ようとしているのだ。

 そしてそれは咲夜も薄々感づいていた。
獄門の手数もまだまだ回転が上がるであろうし、あえて打倒しようとせずにこっちの反応を見ようとしている。だがこの状況、それでも手の打ちようがない。

 焦れた咲夜はついに獄門の右方へ、つまりは左の拳打から最も連携の利く右方へ飛び入った。とにかく左の速射に神経削られるだけのこの状況を変えねばならない。
言うなれば右方は死地、だが死地の表裏に希望があること信じ、飛んだ。のであるがそれを読んでいたように一瞬早く、獄門は咲夜の到着点へ一足飛びで先回り、拳を構える。

 咲夜も悪手だとは思っていたものの、まさかこれほど完璧に誘い込まれるとはの心持ち、音に聞こえる業物衆頭の実力しかと理解し、解った以上、むざむざ骨身に刻むことなど無駄もいいところ。

(内臓もってかれる!・・・)

 拳を構える獄門が狙うは咲夜の左脇腹。しかも大業物の鉄甲をつけた右手である。
もはや出し惜しみしている場合ではなかった。

 咲夜は右肩にかけたままの高煙亭を振り回すよう、乱暴に、制御しようとせず左方にぶん回し間一髪、獄門の右の拳打の軌道を払いのけるように逸らす。
そして振り回した高煙亭の重みに乗って身体を回転させながら交差し、その数三回転。
さらに遠心力で身体を軸にすることで体勢を立て直し、もうもうと煙を上げる高煙亭を獄門目掛けて横殴りに振り抜いた。

(これでちっとは大人しくなりな!)

 しかしそんな咲夜の思いとは裏腹に、垣間見る獄門の歓喜の表情。明らかに愉しんでいた。


(あの馬鹿でかい煙管の一発で一気に攻めを引き寄せたか、ますますもって面白い!)


 期待をもって試してはいたが、ただ追い詰められて拳を貰い終了、ということももちろんあり得た。だからこそ、この大胆な攻守の切り替え、悦んで迎える獄門である。

 そして咲夜の放つ豪打、
獄門はそれを背面反ってかわした。
並の足腰であれば後ろへ転がってしまうような、腰を中心に背面へほとんど直角に折り反っている。

 しかし咲夜とてそんなことでいまさら驚くこともなく、回転を重ね、すぐさま次撃を放つ。確かに至近距離でかわしたのは大したものだが、獄門、曲芸めいた体勢のままである。

(今度はわっちがあんたを試してやるよ)

 さらに勢い増した回天撃を横回転から流れるような縦軌道に変え、獄門目掛けて打ち下ろす。

 すると獄門、それを迎え撃つよう、右脚を後ろに開き、反動付けて身体を起こしつつ、迫り来る高煙亭の雁首に右の拳を合わせてきた。

(殺す気で振り抜く!)

 高煙亭を打ち下ろしながら咲夜。

 しかしそうは思ったものの、この状況で簡単に撃破できるような相手ではないことも先程までの戦闘によって感じている。なにより獄門の余裕の表情である。これはむしろ彼女の力の一旦を引き出す好機であるかもしれない。
咲夜は容赦無く打ち下ろした。


(良い月器だ。使い手も豪快でいい。こっちも応じてやらなきゃな)

 一方の獄門、望んでいた通り、力と力のぶつかり合い。
相手が能力を見せるなら、当然自分もそれを見せる。ぶつけ合って砕けるなら、何時何処で果てても本望。刹那に生きるわけではない、常に悔いなく力を発揮することを己が生の主眼とする。獄門とはそういう女なのである。

 とはいえこの立ち合い、はなから死力を尽くすところではない。だがいずれ、咲夜とはそんな勝負を演じる気がした。
勘である。だが直感で生きる獄門、勘とは天啓と意味を同ずる。

 いずれ自分が(ほふ)るか、屠られるか。
そんな死闘の実現への
験担(げんかつ)惜しみなく修羅手の能力をぶつけた


「っらあ!」


 双方の月器ぶつかり、動ずるは咲夜であった。

 そのまま獄門を粉砕することなど起きないだろうとは思ってはいたが、まさか回天撃が拳一つで止められるとは思っていなかった。しかも相手の体勢は反動付けたとはいえ咲夜に比べて不十分であり、反して自らは4、5回転加えて粉砕力は相当のものであったはずだ。
衝撃を受けるなという方が無理である。

(なんで止められた?ぶつかった瞬間、打ち勝てる感触はあったのに)

が、次の瞬間に連撃を受けたような衝撃があり、勢いを殺されたのだ。
もちろん獄門にそのような動きはなかったのに、である。

 咲夜は唸る。だがいまだ回転力そのものは生きている。

 対し、獄門も笑みは崩さぬも、力んで唸る。

 互いの打撃力は互角、拮抗し、まさに互いに(つば)を迫り合うという状態。均衡が崩れれば状況は一気にどちらかに流れるであろう

(なんつう馬鹿力だ。こっちは修羅三臂(さんぴ)まで使ってんのによ

 獄門の胸中、実は穏やかではない。

 だがそれは歓喜と驚きの混ぜこぜ、浮かべた笑みに偽りは無い。
自らの修羅手以上に力に突出した月器には正直初めて御目に掛かった。というより力だけでいえば修羅手どころではない。事実、現状が修羅手の渾身であるが、見たところ恐らく咲夜の月器はまだまだ馬力が上がりそうである。

 とはいえこの状況ではなんとか互角、
だが剛力と剛力が生む暴発と紙一重にある均衡。長くは続くわけも無し。


「この・・・くっそ、だらあぁ!」

 咲夜は吼え、力任せに高煙亭を振り抜き、ついには獄門を吹き飛ばした。

(おお!すげえすげえ)

 一方、飛ばされた獄門の心中は素直な感嘆によって占められていた。
心弾めば身体も軽い。獄門は地に手を付き、鮮やかに後転。高く宙で身体を回転させると、それのみで打ち込まれた圧力の大半を空気中に逃がしてしまう。
横の圧力に縦の圧力を発生させることによって強引に中和したのだ。

 しかしそれでも消しきれぬ圧力に飛ばされる獄門、着地後に勢いのまま自ら後方へ飛び、太い樹木を壁にすることで強引に止まった。
膝を折り曲げ、まるで樹木が地であるかのように足を付け、空中で平然と停止している。
何のまやかしでもない、右手で幹を抉り取るように掴み、それのみで重力をものともせず完全に身体を支えていた。そして衝撃が完全に消えると獄門、手を離して地に下りた。


 さて獄門、仮にも業物衆頭である。
成す術なく吹き飛ばされかといえば尤もな話、答えは否である。月器の力を有効に使えば結果は幾らでも違えた。
膠着状態の時、咲夜の力の流れを変える、手首の関節を破壊する、又は別箇所に打撃を入れる、等できた。修羅手ならばそれは可能であった。そしてそれ以前に最初の打撃戦で圧倒することもできたろう。
 
 だがそれはやらなかった。やったらやったならで、咲夜もそれなりに対応してきたろうがそんなことは問題ではない。
純粋な力勝負。獄門のやりたかったのはそれだ。そしてそれは咲夜に軍配が上がった。
獄門にとり、それは素直に認めるところであり賞賛するところであった。


 彼女は闘気そのものを引っ込めた。終いの合図である。
 そして、

「いやいや、堪能したぜ」

 埃を払いながら言う。

「ああ、そうかい」

 咲夜はやっと終わったとばかり高煙亭を煙管に戻す。
そして息を吐き、弛緩、座り込んで、

「あー、煙呑みてえなあー。でも火がねえよー」

 項垂れ、緩み切って嘆く。

「なんだよ、急にだらしねえな」

「わっちゃあ、もともとだらしねえんだよ。今日はもう終いなんだろ?」

「ああ、そうだな」

「本当にもう何もないんだろうね?」

 項垂れをぎしと上げ、念を押す咲夜。

「あ?嘘はつかねえよ」

 憮然と返す獄門。

「この前みたいに妙な襲撃なんてもうごめんだからね」

「妙な襲撃・・・ほお、そんなことがあったのか?」

「ああ」



 となると雲石の予想は当たっていたわけだ。
図らずも諸見や雲石への手土産ができた。もう少しつついてみるか、獄門は訊く。

「そいつらはどんな奴だったんだ?」

 咲夜はそれを聞きながら、注意深く獄門を見つつ、続きを話す。

「数人の男達だよ。皆明らかに場数を踏んだ手練だったね」

「京都隠密の庭である京で襲撃か・・・そりゃ大胆なことだな」

 予測していたとはいえ当事者にその事実を聞かされればやはりその内容は驚嘆するに値する、素直にそれを顔に表す獄門。

「・・・つうか、わっちは正直、幕府側の手の者だと思ってたんだけど違うのかい?」

 その様子を眺めて咲夜。獄門の言に偽りは無いと見て、本音を言う。
黙して利があるわけでも無いが、それでもあまりに簡単に襲撃の事を洩らしたのは幕府側にいる獄門の反応を見たかったからである。

 なぜ幕府の画策かと思ったかといえばこうだ。根拠には欠けようが、襲撃者が幕府に捕らえられたという話が聞こえないからである。
8日も経つというのに襲撃者が処刑されるどころか、襲撃の事実さえ隠されたままなのだ。この手の事件はあらゆる悪行狼藉への牽制を兼ねて詳細に公表(主に処刑の苛烈さを)されるものである。
 
 しかしそれがまったく無いというのは8日前の襲撃そのものが幕府によって画策されたものという。もしくは、まんまと襲撃者に逃げられたかのどちらかであろう。後者は考えにくいが、可能性としては有る。
 が、咲夜はまずは幕府側を疑った。幕府のかぐや候補への厚遇は周知の事実である。
だがその厚遇、理由がはっきりとしていない。自らに害あるわけではないので深く考えることはそうないだろうが、少しでも考えてみれば釈然としないものは当然感じるのである。
理由の分からぬ高待遇。それは詰まるところ相手側の都合で行われているということで、相手側の都合次第で何時その待遇が真逆へ、悪意に変じてもおかしくは無いのである。とはいえこの考えにも確たる根拠は無い、話を続ける。

「いや、そんな話は聞いてねえな。もちろんあたしだって全てを把握できるほど偉かねえからまあなんとも言えねえけどな」

 程良く相槌を打つ獄門。そして楽しげに、

「じゃあ襲撃者に逃げられた可能性があるってことか。いや、大したもんだな実際」

 恐らくはそんな失態、初であろう。立場など関係無い、ただその手際、天晴れと言う他無し。

「場所は?」と、獄門。

「一宝庭園だよ」

 咲夜が返すと、

「一宝庭園ねえ・・・」

 などと呟き、肝心の考えは口に出さぬ獄門、

(これで襲った奴らが忍だったら完全に当たりじゃねえのか)

「だけど手練たって、並の手練数人いたってお前ならそれほど苦でもないだろ?」

 自らが手合わせした経験をもとに獄門。

「そりゃあありがとさん。でも相手は手練の忍だったんじゃねえかな。やりにくいったらないよ。しかもその中に一人、別格がいてねえ・・・」

 思い出し、苦い顔。

「別格の忍ねえ・・・どんな奴だったんだ?」

 咲夜の言質(げんち)が取れた獄門、さらに突っ込むと

「なんか随分と根掘り葉掘りだね」

 怪訝に咲夜。疑わしきは、疑わしい。何が、といわれれば、わからない、が、疑わしい。
だがやはり襲撃内容を秘することで得られる利益も特にはないのだ。咲夜は正直に話す。

「背の高い、結構歳食った男だったね」

 聞けば獄門、腕を組み思案する。

(襲撃に白命は参加してないと・・・まあいくらなんでもそりゃそうか。だけどこの話に噛んでる可能性は高いか?)

 とにかくも一宝庭園で正体不明の忍による襲撃があった、これは確実だ。
となれば雲石達の調べ事も少しは風通しが良くなろう。今日は充分に収穫があったわけだ。潮時を得た獄門、

「なるほどな、わかった。あたしも一応は京都隠密にも顔が利く。今の話を通して、そいつらとっ捕まえるように言っといてやるぜ」



 獄門は白々しく言うと、咲夜に背を向けて歩き出す。


「ほんとに頼むぜ、あんなのもう勘弁だかんな」

 咲夜は言う。

「それも伝えといてやるよ。それじゃあかぐや本戦でまた会おうぜ!」

 背を向けたまま片手を上げて獄門は去っていく。

「頼んだかんなー!でもかぐや本戦は辞退してもいいんだぞー!」

 遠ざかる獄門に叫ぶ咲夜。まったくもって本音であった。

「馬鹿言ってんじゃねえよ!」

 愉快そうな響きでそれだけ言うと、獄門は咲夜の視界から外れていった。歩きながら彼女は思う。


(ほんとに馬鹿いってんじゃねえよ。こんな愉しそうな祭、誰が辞退するかってんだ)

 
 疼く拳を抑え、浮かぶ笑みは、滅することを本懐とする修羅の如くであった。







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