「なあ、そういえば名前を訊いてなかったね」
咲夜は先程から隣を歩く女に横目を流す。
「獄門、
獄門 灯だ。よろしくな」
不敵に、挑発的な色さえ滲ませて獄門。
彼女特有の喋り方である。自らの力強さを信奉し、常に強者を求める荒ぶる心、それを声に乗せれば好戦の音調となり、相手の耳朶を打つ。
「獄門って、名前もごっついなあ・・・」
しかし、ふなりと受ける咲夜。
遊女としてあらゆる人間を愉しませ慰めてきた彼女特有、物怖じの無い柔軟さである。
「はは」
何しても肝が太く、据わっている。獄門は愉快に一笑。
「気に入ったよ。はっきり言おう、実はあたしもかぐやに出るんだよ」
咲夜の表情、若干強張り、
「ってえことは・・・」
「おうおう」
呟く咲夜に、威勢良く応じる獄門。
咲夜は思案する。
今回のかぐやが広域戦場による遭遇戦であることは数日前に運営側の使者により知らされている。要は定められた地域内であれば奇襲であれ罠であれ何でもござれである。
当然のことのようにかぐや候補の六名でやるものと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。突然に候補が増えることなどありえなく、外部の人間混ぜてのことであろう。
そして候補でないということは純粋な戦闘要員、かぐや本戦における闘争を多彩なものにし、見物をさらに熱狂させるための追加役者のようなものであろう。
とはいえかぐや候補に抗し得る武力がなければその存在に意味は無く、出会ってすぐにその実力は感じてはいたが、やはり獄門と名乗る女、相当の腕を持っていることは確実か。
そこまで考えると咲夜、思案は一旦打ち切り再び横目でちらと獄門を見て、
「じゃあ・・・敵、みたいな?」
「そう、みたいな?」
獄門も同じ口調で返す。機嫌は上滑りに良くなっていく。彼女は嬉々と思う。
(いやいや、ほんとに察しがいいやつだな。やっぱり人間ってのは実際に顔合わせてみないとわかんねえもんだよ)
咲夜と獄門、何の相性か、互いの認証があまりに迅速に行われていく。
それはもはや相性というより、定められた邂逅を果たし、運命の糸巻きが順調に巻かれていくかのようであった。
「・・・・・・」
二人とも意識のどこかでそういったものを感じたか、一瞬の沈黙を挟み、
その後、運命の妙の前には成す術無しに笑うしかないとでもいった具合、弾けるように豪快に笑いだす。
不思議な出会いだ。象徴的な何かがあったわけではない。だが運命に直結した太い
そして発される笑い、そこには単純な理由も混じっている。さっきからなんだか妙な会話をしているじゃないか。
「んで、敵だと明言する獄門さんが一体全体なんの御用で?」
そして笑いも治まって咲夜、態度は先程からまったく変わってはいないが、水面下では意識は火を孕みながら激しくなっていく。戦闘的なものに切り替わりつつあった。
「ちょいと一発二発、拳を交えにきたぜ」
しかしあまりに率直、敵意も害意も微塵も無い。
底抜けに明け透け、明るく言う獄門に咲夜、毒気を抜かれ、
「ええ、やだよ、痛そうだし」
腑抜ける。
だが同時に感嘆もしていた。
今しがた獄門は言いながらその拳をゆっくりと前に突き出した。
気安い口調と同じく、それは気安い拳打の構えであり、簡単な拳の突き出し。
速力も無く、何を殴り倒せる力も当然こもってはいない。
なのに巨大な石像の腕が命を宿して動きだしたかのような重厚な力の発現、圧迫感さえ伴ってそれを見たのだ。
咲夜は圧倒されるよう、思わず息を飲む。
「まあまあ、そう言うなって」
とはいえそれは秘めたる武威が滲み出ただけであり、獄門に示威の意識は無い。
先程からの軽い口調でついてこいと言わんばかり、歩調を速め、丁度差しかかった入覚寺の境内へ入って行ってしまった。
東の天満寺、西の入覚寺という具合、この寺の境内も相当に広大である。
参拝の人間も多いが、城下町の中に於いて森閑とした空間を有し、人気のないところも多々ある。
「やっぱりなんか嫌な予感するんだよなあ・・・」
歩きながら咲夜はぼやく。
流れがどうにも八日前の一宝庭園と酷似している。それがどうにも頭から払えない。
(またなんか襲撃とかあったらかなわないよ)
あの時の傷は癒えてはいるが、思い出すだけでずしりとした心労に襲われる。
「あんなのもう勘弁だよ」
言いつつも脚は先行く獄門に追従する。
脚行けば人気は徐々に薄まり、入覚寺東端の積寂荘裏手に辿り着く。
もちろん獄門、京の地理には明るくない。
入覚寺に入ったのも偶然の産物に等しく、後は嗅覚に従って邪魔の無い場所を嗅ぎあてたが現実である。
が、当の獄門、足を止め、あっけらかんと、
「さて」
くるり反転、咲夜へ向く。
「用意はいいか?」
不敵に笑いながら胸の前、両の拳骨を打ちつける。
「いや、待ってくれよ。ちょっとはゆっくりしようぜ」
本音も本音、咲夜は言い、周囲を示す。
天は晴れ、澄みやかな青。
浮雲は仏の午睡を乗せるよう、のんびり緩く流れゆく。
時は皐月。
晩春から初夏へと移ろいゆく豊かな季節である。周囲の木々は生命の盛りを示すよう青々と茂り、花見にはやや時期を過ぎたが、それでもゆったり過ごすには贅沢に過ぎるほどの風雅がここにはある。だが・・・
「却下!」
獄門、地を蹴る。
(やるしかないか・・・)
咲夜は溜息吐き、獄門の動きに集中する。
もちろん咲夜もここで獄門と茶飲み話をしたいわけではない。ただ気乗りしない戦闘を極力避けたいだけである。だが獄門の表情、そこから伝わってくる気勢、咲夜の望むを不可能と理解させるに充分なほど闘争への歓びに満ちていた。
しかし救いといえば殺気がないことである。
本人の言動の通り、挨拶程度とみて間違いない。それを証明するように想像よりも獄門の動き、鋭くはない。
(様子見か。思いきり手加減してる感じだしね。だけどそれはそれでちょいと癪なんだよなあ)
自らに向かってくる獄門の動きはいくら油断していても捌ける程度のものである。
つまりとりあえずはこの程度の動きでいいかと判断つけられたわけであり、自分の力量、その見積もり、随分と安く見られたものである。
するとどうだ。咲夜、どうにも負けん気が疼いた。
獄門の体捌きそのものは極めて単純、癖の無い動きである。
速さと力強さ、これが双方高い水準で備わってこそ活きてくる類のものであり、もちろん今現在の獄門の動き、そこまで低い水準のものではないが、かぐや候補という力量の持ち主からすれば舐められているととられても仕方がない。
「しっ」
獄門が左の拳を繰りだす。
咲夜はそれを右の掌で易々掴み、
「こんなの喰らうと思ったのかい?」
獄門の拳を砕かんと掌に力を込める。
しかし獄門、平然と、
「いい顔になってきたね」
顔は不敵なまま、言う。
獄門の行ったは安い挑発であるともちろん咲夜にも知れている。
ここで相手の手の内を見ておくは確かに悪いことではない。だがそのような殊勝な考え、この時の咲夜には皆無、ここで舐められたまま帰っては夢見が悪い、というような、気分の話である。
(その安い挑発に乗ってやろうじゃないか)
そして咲夜がそう腹を決めた瞬間、察した獄門、
「やる気になってくれて結構だ。それじゃあ改めて自己紹介すんぜ。あたしは甲州付業物衆頭の獄門 灯だ。右手の鉄甲はもちろん大業物。それでいまからお前の土手っ腹にぶちかますのは寸打ってやつだ」
言うと同時、危険を感じた咲夜は咄嗟、獄門の左手を放し、左腕で腹部を庇いながら弾けるよう、真後ろに飛ぶ。
「っつ・・・」
腹部を庇った左腕に痛みが走る。
すぐに後ろに飛んだことにより、獄門の拳は皮膚をかする程度にしか触れなかったはずだが、この威力。
しかも獄門のいましがたの拳(寸打といったか)、拳打における常識をほとんど無視していた。予備動作が無きに等しい。
例えば牽制目的で速度に重点をおいた拳打であれば予備動作を極力無くすことができる。いや、正確に言えば無くすのではなく、隠すことができる。
身体の自然な揺れ、微かな呼吸の上下や間合いを取る体捌きの中に予備動作を潜ませることで突然に拳打を生んだように錯覚させることができる。
だが威力を高めるとなるとやはり充填作業(溜めの動作)が必要になる。
しかし先の獄門の拳、荒縄が引き絞られるが如くの一瞬の強烈な身体の捻りそれだけで、拳も腕もまるで動かさず零距離から凶悪な破壊力を発生せしめた。
火薬も何も使用せず唐突に大筒を打ち込まれるようなものである。
救いといえばこの寸打、放ってからも拳がほとんど動かないところである。超近接戦限定の大技であろう、放った以上、動くには動くがせいぜいが三寸か四寸である。だからこそ後方へ飛び、事なきを得た。
だがどうだ、横にかわそうとすれば左腕にまともに喰らっていただろう。
高煙亭の力を発現していない左腕など簡単に粉砕されていたは間違いなく、今更ながらに青くなる。
「後ろに飛んだか。良い勘してるな」
追撃はせずに獄門、寸打を放った右手首をばきばきと鳴らしながら咲夜を評する。機嫌は変わらずに良さそうである。
未知の攻撃を不意に仕掛けられた時こそ直感がものをいう。
咲夜は見事、多々ある不正解の中から稀少な正解を選択した。それは本能の、本質的な鋭敏さ、強靭さを見せつけてなるほど、獄門の機嫌も上々は当然か。
(業物衆の頭だあ?とんでもない大物じゃねえかよ)
だが咲夜も同じ機嫌というわけにもいかない。
不意に炸裂した危機を脱し、左腕を擦りつつ心中毒付く。
業物衆といえば知らぬ者はない、蓮月軍部のいわゆる最強の矛である。敵対したが最後、貫かれ滅せられる。その比類無い破壊力は勇名半分、悪名半分といったところであり、腫れものめき、畏怖されている。
しかしその頭の一人がこんなところでふらふらと、名乗りを上げて気儘に戦闘。どうかしている。
だが、
(わっちもどうかしてるね)
言ってしまえば無責任、しかしその裏の無い奔放さ、呼応する咲夜もまた同類の徒か。
煙管を抜き、咥えれば、瞬く間にそれは巨大月器に。
それを肩にかければ、咲夜の顔にも獄門と鏡合わせのような笑みが浮かぶ。
激しくも華やか、ここにきて咲夜という女の精髄、燃え立つように艶を発する。
「わっちの名前は咲夜。生まれは天下の遊郭、江戸祥園。蓮月一の遊女『蓮座女 寧夜』の妹にして女の何たるかを知り尽くした女の中の女、咲夜姉さんとはわっちのことさ!」
口上を発し、いよいよ闘気を練る。
もちろん考えなしに正体を明かしたわけではない。蓮座女寧夜の妹であるなど勢いだけで言えるものではない。
だがかぐや候補の立場を得ればこそ話は違う。法外のあらゆる免責、いまやそれを得られる立場なのである。獄門の気炎をあてられ自らも燃えるを選んだ咲夜であるが分別を失ったわけではない、もし獄門づてに幕府に己が正体が明かされようと、もはやただ潰されるような立ち位置にはいない。
それになによりも獄門がそのような告げ口まがいのことをする人間でないとの確信があった。
ただ眼前の、どこか繋がったような、好敵手。
それが自らを明かしたことに対する返答、偽りも秘め事も礼を失する。
ただ熱く、自らをも明かすことのみがその返礼に相応しい。すると、
「・・・蓮座女?ああ・・・まさか生き残りがいたってことか・・・」
事情を察し、呟く獄門。なかなかどうして彼女も頭の回りは速い。咲夜の出自にはさすがに意表を突かれ驚きを隠せない彼女であるが、咲夜の思った通り、それを告げてどうこうしのうの発想は毛ほども無い。
ここにおいても獄門、咲夜の魂の有り様、その燃え方、好敵手と認めるに足るものであると十二分に理解し、にんまりと。
(こいつは想像以上だ。重畳重畳)
そして一拍置き、哄笑。曇天を吹き散らすような清々しい、高らかな笑い声であった。
(しかも自分の月器の方が全然ごついじゃねえかよ)
どうにも愉快な女だ。
そして獄門、程良く笑いをおさめ、視野の内、咲夜の捉え方を変えていく。
対峙する愉快な女という見方から得物を見定める猛禽類のそれに、である。
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