清香ら、かぐや候補達が賑やかに顔を合わせた日から8日後、明け3刻。



 二蓮ノ城。


「では9日前に隠密廻りの一人が消えた理由は未だに判明せずということか?」

 諸見は京都隠密の頭・西堂(さいどう) (うん)(せき)に問う

「はい、なにぶん証拠がまるで見つけられませぬゆえ」

 雲石は静かに答える。

「蓮月屈指の隠密である貴様らがか?」

 鷹揚に、しかしゆっくりと刃を人体に刺し込むような冷気を滲ませ、諸見。
彼特有の物腰である。怯まずに対峙できる人間は少ない。
 だが京都隠密の頭である雲石、その少数に属する。見事に剃り上げた頭には大きな裂傷の痕があり、声音もその豪胆な外見を裏切らず重く、しかし淀みない。彼は答える。

「憶測ではありますが恐らくは消されたかと」

「何故?」

「証拠が無さ過ぎるからです。人一人が完全に世から消えるのに一切の痕跡が無いというのは不自然、人為的に抹消されたのでしょう。生前、様子におかしなところも見られませんでしたし、抜け忍となった可能性は無いでしょう。むしろそうであれば尻尾の一つ掴むのは容易だったでしょうが」

「手詰まり、ということか?」

「この件に関していえば」

「ではどの件ならば話が進むのだ?」

「これを」

 言って、雲石、京の見取り図を広げる。

「うん?」

 僅か、身を乗り出し、覗きこむ諸見。
どうやらここからが本題であると察す。隠密一人消えただけで(それはそれで重大なことであるが)自分に折り入っての報告など些か仰々しくある。


「いま申し上げました例の隠密廻りがどう消えたかは判然としませぬが、当日の状況を推察してみればある程度のことはわかってきます」

「・・・」

 その言葉を聞きながら、諸見は見取り図に書き込まれた印を見やる。

「まずいくつも印された赤い丸ですが」

「ふむ」

「当日この地点でいざこざが起きています。中身は至ってよくある喧嘩ですが、発生地点がどうにも臭います」

「におう?臭いとな?」

 なにが愉しいか、含み笑い、諸見。

「全て当日の隠密廻りの巡廻路の分岐点でいざこざが発生しています。まるでいちいち隠密の注意を引くかのようにです」

「ほお」

 先の笑いを引き延ばしたよう、顎に手を当て薄く笑い、愉しげな諸見。

「そしてそのいざこざの先を進んでいくと一宝庭園に繋がります」

「ということは一宝庭園で何事か起こす為の時間稼ぎとして揉め事が頻発されたということか」

「で、あるかと」


 雲石は静かに答える。しかし心中若干の底冷えはある。
眼前の諸見、その薄笑い。全てを見透かすような、いや、あらゆる凶事でさえ歓迎するかのような笑みである。たしかにそのような精神をもってすれば事が
うまく(・・・)いかぬ(・・・)こと(・・)不測の事態ほど愉快な話もないのやもしれない
しかもこの現所司代、そのような
(まがつ)の享楽の中にも高い知性が宿っている。雲石は思わずにはいられない、すでに自分の言わんとしていること全て把握しているのではないか



「では貴様はその一宝庭園にて何があったと考える?」

 だがそんな雲石の思考をよそに、解答を求めてくる諸見。

「かぐや候補襲撃があったかと」

「それはそれは」

 なんとも機嫌良く諸見。「その心は?」

「は、当日、かぐや候補の清香と咲夜が一宝庭園に向かったとの証言が数多くあります。そして揉め事が起きた時刻もそれに合致しています」

「ということは?」

「幕府の目を欺いてまでかぐや候補へ接触する目的といえば、可能性として大きいのはやはり襲撃でしょう。戦闘以外の接触など基本的には自由ですから」

「その通りよなあ」

 何かに耽るかのよう、顎を擦り擦り、諸見。

「そしてこれは隠密廻りの巡廻経路を熟知していなければ不可能です。内部の裏切りの可能性はもちろんありますが、徹底的に洗った結果、裏切りはないと判断しました。となると隠密の動きが盗まれたことになります」

「それなりの頭と腕を備える者なら時間を掛ければそれも可能であろうて」

 諸見は言う。


不快、というわけではないが雲石は僅かに眉をひそめる。
確かに諸見の言うように隠密の巡廻経路の把握は理論的には可能であろう。だが
それなり(・・・・)の力量で実行できるほど易くはない。それはもちろん諸見も承知のはずである。

やはりどうにも先程から戯れるような様子であり、全てを見透かした上で鎌掛けのような発言をしているように思える。雲石はもはやその気持ちをさほど隠そうともせず、彼の言葉に答える。

「時間はそれほど掛かっていないと思われます。あれだけ完璧に隠密の動きを盗んだ者です、まともに時間を掛ければ、隠密の注意を引くにももっと自然な遣り方は幾らでもできたでしょう。ということは短期間で隠密廻りの巡廻経路を熟知し、即行動に移ったとみるのが妥当ではないかと思います。もしくは、決定的な証拠さえ残さなければ尻尾は残しても構わないとしたか、まあ個人的にはその両方でないかと思いはしますが」

「限られた時間で成すべきことだけを成したというわけか」

 諸見は呟く。言うは易いが内容はあまりに難い。

「はい、それだけのことを成し得る人物、その特性、またそれを成す動機の所持、これらを考慮すればある程度の絞り込みは可能になってきます」

 まるでこれでお膳立ては終わったとばかり、雲石は言葉を切る。

「短期間で隠密の行動を盗み、跡形無く消せる人物・・・しかも幕府を堂々敵に回して・・・」

 よほど愉しい想像でもしているのか、諸見はもったいつけて口にしようとせず、急かすように雲石をちらちらと。

 すれば焦らす急かすという遊びの無い雲石、すぐに一人の名を挙げる。

「現かぐや候補筆頭の白命の可能性があります」

「そうそれ!」

 雲石が言えば、一斉に乗っかってくる諸見。口調が子供じみて、普段は冷気として現れる彼の狂気、あからさまな歓喜とともに幼く爆ぜる。

(やはりわかっておいでか)

 雲石は心中呟き、諸見の理知と嗅覚の融合した得体の知れない勘に僅かなりと動揺しなかったといえば嘘になる。

「どうにも彼女は怪しい点が多過ぎますな。いわばはっきりしているのは忍であるということくらいですから」

「しかし幕府の忍でない以上、9集の忍なのではないか?」

 立ち現れた幼さも一瞬、諸見は再び冷然とした態度でもって言う。

「いえ、確かに戦乱が終結した後、各地に存在した忍の里は幕府に潰され、現存する忍の里は忍術発祥の地である9集と江戸のみということになっています。ですが忍とは生存することにかけて非常に狡猾な生き物です。おそらく蓮月各地に隠れ里は存在するでしょう」

「では白命はどこかの隠れ里から出てきたと言いたいのか?」

「いえ」

「・・・」

「先程諸見様が言ったように9集の出かと思われます。何の確証もない、ただの憶測ですが」

「なぜそう思う」

「彼女が超一級の忍だからです。それだけの血、いわば忍術の宗家である9集でなければ紡げないものかと。大した下地も無しに突然変異で生まれたというよりかは説得力がありますな」

 なるほど、頷き、

「白命はそれほどか」

 再び愉しげな表情の諸見。

「はい。忍の歴史の中でも稀に見ぬ才でしょう」

「それほどか、なるほど・・・」没我の愉しみに沈むよう諸見は呟くが、不意に顔を上げ、

「だがそれほどの人物ならば京にも江戸にも知れそうなものだがな」

「はい、普通ならばそうです。何らかの意図あってその存在が暗がりに隠されてきたのでしょう。ただの中忍上忍に収めておくには能力が高すぎますからな」

 こうなると三千月夜の寛容すぎる参加条件が邪魔くさくもある。自らの意思で参加すれば老いも若きも立場も出自も関係なし、不問とされる。
罪人であろうが三千月夜宴場に足を踏み入れ、それなり活躍さえすれば罪も免除されるという(もちろん罪状などによって待遇は様々、変わりはするが)通常の法が適用されぬ一種の治外法権である。出自不確かな怪しげな連中が多いのもそのせいである。

「もちろん今回の隠密廻りの件、白命の仕業であると言い切れるものではありませんが、あやつ、何を考えているかわかりませぬ。くれぐれも身辺の警護、緩めることなきよう申し上げます」

 雲石は言い、話を締めようとしたところでしかし、ことさらに愉しげな口調の諸見、

「まあ今回のかぐや候補、出自の不明瞭な者は白命だけではあるまい。どの者もどこから現れたものやら」

 顔には愉悦が広がりきっている。一体、何にそれほどの歓喜を覚えているのか、雲石の眉、再び(しか)められたところ、



「ま、よくわからねえってんなら接触してみりゃいいだろ」

 唐突、隣室から声が上がり、襖が開いた。

「獄門殿・・・と、裏百家、貫之殿」

 雲石は言う。

「獄門殿の気配は感じてはいたが」

 他二人にはまったく気がつかなかった。さすが個の武力でいえば幕府軍部でも指折りの業物衆の頭であるというところか。
元より諸見の指示であるのかもしれない、彼自身はこの展開に特に反応するところはない。

「雲石、灯に気配断ちなんてできやしないよ。必要としてないんだから」

気怠く言うは裏百家 千利。妖艶というより凄味のある美貌のその女は八年前のかぐやを制したその人、本人である。

「ったりめえよ、誰が相手でも正面から殴り合っての撲殺が信条の獄門様だぜ。お前らみたいに暗器やら狙撃なんてかったるいことできねっつうの」

 言って拳を叩くは、獄門(ごくもん) (あかり)右手には彼女専用鉄甲型大業物修羅手(しゅらしゅ)が禍々しく、鈍く光る。

「相手の意表をついての形成崩しこそ暗器の醍醐味なんだよ。盤面を裏返す快感さ。貫之ならわかるだろ?」

 実際のところ他人の意見などまるで意にせず、そんな口調で千利はだらりと貫之に話を振るも、

「私はただ標的を射殺すのみです」

 人の情も温度も感じさせぬ凍えた瞳で淡と一言、()()貫之(つらゆき)常世にも現し世にも何一つ感ずるもののない常冷えの相を備える彼女、体躯はすらりと色白く、未だ眠れる死の女神のよう、不吉に静寂に満ちている。

「っだよ、不健康な奴らだよなあ。な、諸見のとっつぁんよ」

 獄門は気安く、馴れ馴れしく、諸見の肩に手を置く。

「わしは殺戮に長じた者には分け隔てなく友好的だよ」

 諸見は懐でかく彼女らを肯定すると、生々しくも丁寧に笑う。
実際、業物衆頭というのは低い地位ではないが、京都所司代より上ではない。通常許される態度ではないが、諸見も獄門も普通ではなく、本来の立場から言動がはみ出ようと当事者達が気にせぬなら公の場で無い以上、大きな問題ではない。

 それに蓮月将軍家へのあからさまな不敬などでなければ、業物衆頭というものは大抵の事は許される場合がある。それほどに業物衆というものは強力かつ独立的、特殊な立場にある。

「ほんと、いつ会ってもぶっ飛んだおっさんだよ」

 獄門は親しみを込め諸見の背を叩く。すると彼は愉快そうに笑い、

「かぐや候補達に会いに行くのか?」

 訊く。

「ええ、挨拶に。会えるかどうかは分かりませんけど」

 気怠く、しかしその中に毒を隠し、裏百家は答える。

 要は軽く仕掛ける、ということか。

 諸見、いよいよ昂り、

「報告を愉しみにしている」

 それだけ言うと自室に消えた。











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