帰り道。

 店を出て、それぞれ帰路につく。

 咲夜は上機嫌で一人帰って行った。

 白命はいつの間にか消えていた。

 千鳥に至っては出ていったまま、おそらくそのまま帰ったか、豊胸の旅に出たか、いや、まあ帰ったのであろう。


 清香、琴乃、三平、風香が同じ道を歩いていた。

 三平と風香が並んで歩き、その少し後ろを清香と琴乃が歩いている。
騒がしい時が過ぎ、外に出てみればなんとも静けな春の宵であった。
陽は落ち、水平に溶けて間もない。通りにはそれなり人はいるが、皆がそれぞれ穏やかな憩いを求め帰っていく。

 綺麗な月夜であった。
薄雲一つかからぬ月は
(まろ)かな光を降らせ、清涼な夜風を吸い込めば初花(たい)ぬるい湯に浸かるような春の宵が、騒ぎの後にまた格別心地良い


「へえ〜、今の最先端の医療ってすごいんだね〜」

 清香達の前方では風香と三平が長いこと二人で喋っている。
風香はどうにも医療関連の事に興味があるようで、三平にべったりである。当の三平も医療の事になれば饒舌である。熱心な聴き手を得ることで喋りに喋る。

「はい、蓮月全土にまともな医療機関を置くことができれば怪我や病気で苦しむ人達は格段に減るでしょうね」

「そっか、じゃあ貧しい村だとかにまともな御医者様が来ることもあり得るのかな・・・?」

 少し声を落とし、風香は呟く。先程までの陽気さは翳っていた。

「・・・どれだけ頑張ってもすぐには無理ですね」

 風香の変化見て取った三平、酷かもしれぬが気休めや嘘は言うまい、事実を口にする。

「だよね〜」

 しかし顔色翳ったのも束の間、すぐに明るく返す風香。
だがそれが逆に痛ましくも見えた。三平は、

「立ち入ったことを訊くようですが何処の御出身なんですか?」

「陸中の澄咲月鉱山・鉱山町花菱」

 風香は一言。


「月鉱山町・・・」

 三平は呟く。
風香の医療に関する関心、それだけで大体は把握できてしまった。


 蓮月という国が蓮月という国である所以、月鉱石。
それが採掘できる鉱山は全国にあれど、地図を広げ、そこに分布図を書き込んでみれば一目瞭然、国の東北に7割方の月鉱山が集中している。

 今しがた風香の口にした澄咲月鉱山は陸中でも有数の月鉱山である。
鉱山町とは本来、言葉そのまま、鉱山で働く者達の居住区として機能するものであるが、月鉱石の鉱山町に於いては多少意味合いが違ってくる。

 月鉱山町には本当の意味で鉱山で働く者はほとんどいない。
実際に採掘や精製などに関わる鉱山労働者は『堀所』と呼ばれる、採掘場に隣接した所に居住区を構えるよう決められているのだ。
であるから実際のところ、月鉱山町と堀所は大きく距離が開いているのである。大抵は堀所が山の中腹なり奥深くにあるものだが、鉱山町はまず山の麓にある。

 理由の一つとして当然流通の問題がある。月鉱山は大抵山深くにあり、道を舗装しようにも限度がある。というか、ただ鉱石を運ぶ以外に使わぬ山道である。幕府は大がかりに舗装するよりも、麓に集積点を築くことを選んだわけである。妥当な判断である。

 そしてもう一つの理由として月鉱山労働者、通称『堀人』を穢れとみなす世の眼がある。
何故に穢れか、簡単にいえば見た目の問題がまず大きい。


月鉱山坑内には月鉱山特有の気体が充満しており、人体に何を害するわけではないが、ただとにかく皮膚が
(あい)(まだら)醜く染まるその姿は生きる屍の如く人の目に不吉に映り、古来より堀人は特殊な立ち位置にあった。

 であるが、常に忌諱されてきたかといえばそうでもない。

 むしろある時期までは『(つき)神人(じにん)と呼ばれ神職者、特殊技能者として尊崇されており醜い皮膚を晒さぬ為、常に黒染頭巾を被る月神人を見掛けると、人々は畏敬の念より黙って道を開けたという。

 では何故、その月神人が堀人などという卑賤の対象に成り下がったかといえば、転機は幕暦119年『月人の大乱』である。


 戦乱終結後、国を掌握したのはもちろん蓮月家である。
当然、遥か以前から傀儡でしかなかった帝に実権は無く、もはや御所という広漠たる自室で漁色に耽るしかないという体たらくであった。

 しかし象徴としての威光はそう消えるものでないのもまた一つの事実であり、あらゆる利権を剥奪された帝都(現京都)の(じっ)(たつ)(帝権に於ける実質的指導者達は慎重に、辛抱強く、蓮月幕府一円支配ない勢力に密かに働き掛け、何代にも渡り帝の復権を画策した。



 そして時は幕暦119年。

 帝に残された帝権の一つに神人の統括があった。
神人といっても様々で月鉱山で働く者の他、
斃牛斃(へいぎゅうへい)()の処理をする者またその皮から様々の物をつくる皮革業者死刑執行をする刑吏など、死に直接関わるもの。
町の清掃・汚物の処理をする者や神事に於いて穢れを祓う清めの者、社務警護者
橋の建造など公共の建造物にかかわる土木業者寺社の建築などに携わる番匠。
その他、造園の者、神楽の者など、いわゆる士農工商に属さない
職能民は神人と呼ばれた。
それらは全て特異の才を必要とするものとみられ、
人々は、神人の業に人を越えた神仏の力をみたのである。そしてそのような特殊な職能集団を統括するのは神の直系である帝、という図式なのである。

 といったところで帝は傀儡。
幕府の言うがまま神人を動かしているだけなので統括も何も無いのが実情であった。
しかし形式上はやはり帝の直轄なわけであり、それは長らく変わらなかった。

 形式が保たれれば関わりも保たれる。
幕府軍が固める月鉱山堀所(当時は月床と呼ばれていた)や鉱山町にも視察することができる。帝の使いは再三に及ぶ視察の度、各地月神人の長に密書を渡し、反幕意識を煽った。
元よりとても良いとはいえない待遇を受けていた月神人、帝の名によって討幕を発せられれば多くの者の賛同を得ること十達には分かっていた。

 元来神人は自らの業に誇りを持っており、そしてまた市井の人々も神人を畏れ敬っていた。神人は神の直系である帝こそが自分達の唯一無二の主であるとの認識を持っていたし、事実、帝の命により職能によって異なりはするが、様々な特権を与えられてもいた。

 ところが蓮月家が国を掌握してからというもの、帝の力は弱まり、瞬く間に帝権は衰退、神人の扱いも奴隷の如くになった。
月神人に於いてはただの炭鉱夫扱い、加えて醜い肌とそれを隠す頭巾という特異な出で立ちが横柄な軍人達を加虐的にさせた。
 神人からすれば蓮月家は武力にものをいわせ帝権を簒奪した国賊である。討幕に身を投じることは使命的興奮をも伴ったであろう。

 そして国の生命線ともいえる月鉱山とそれに精通した月神人を意の内に入れたことは大きい。
十達は討幕後の領土拡大や月鉱石の優先的提供などを餌に各地小国の大名などを兵力として蓄えていった。元々当時の小国は、戦乱期には蓮月家に敵対していた強国であったところが多い。敗戦し国力は奪われたものの、強国の血筋であるという矜持があり、現状、蓮月家への不満など幾らでもある。各地兵力の総数、連携が整った時、蓮月各地で一斉に討幕の烽火が燃え上がった。

 当時、十達らは討幕の成功を確信し、目前に迫る栄華に酔い痴れたであろう。
それほどに討幕軍の勢いは凄まじかった。
瞬く間に東西から討幕軍が江戸目指し殺到し、防衛拠点とされる幾つかの国(常州、甲州)を突破した。

 まさしく東西の要衝が抜かれ、江戸に通ずる一大平野・
(がち)(りん)平野の目前に於いてしかし討幕軍の足は止まった。
まさしく最終防衛地点である天険の地にて討幕軍の数の利も気炎も
揉み消されたのである。

 圧倒的な防砦能力と地の利でもって巧みに討幕軍を抑え込み、その間、強大な破壊力の大業物を持つ頭を筆頭とする『業物衆』が信じられない速度で討幕軍を壊乱するという
ある意味、王者らしい戦法であった。
 天険の地に絶対防衛拠点を築き
補給も完璧。業物から始まり、ほとんどの優れた月器を所有することによって成立する業物衆。どちらも強大な国力無くては成し得ないものである。
 余談であるが、後に蓮月幕府軍部の懐刀と呼ばれるに至るこの特殊遊撃隊は
当時、凄惨なまでの血みどろの戦果を挙げることによってその地位を確立することになったという。


 足が止まり、業物衆によって指揮権ある者が次々と殺されるなか、次第に討幕軍は勢いを失い(各地討幕軍もみな同じ状態に陥っていた)、機を掴んだ幕府軍によって押し返された。
 されど一矢、ざくりと抉り込んでやろうと遂に防衛拠点を突破した決死の一軍、後に伝わっているように、陣頭指揮を執っていた時の将軍・蓮月時重による天塊の一振りで壊滅した。


 戦後処理はそれは容赦無いものであった。
反乱によって大量に失った月神人を補充する為、反乱に加わった武家の者や農民、あらゆる者達を月鉱山送りにした。もちろん首謀者達は皆殺され、京には十達に代わり五賢と呼ばれる執政者が江戸から送られた。
痴愚の帝が無関係であること判明すると、脅すだけ脅し、しかし御所(すでに帝とは御所という閉ざされた空間の中で漁色に耽るだけの存在であった)を取り上げないでやると無様なほどに恭順を誓った。

 これをきっかけに新たに月神人の役割に就いた多くが国家に反逆した大罪人となり、扱いは元より、呼び名も堀人と、安直で隷属的な呼称となった。
これは神人としての神性を失ったことを意味しており、当然、見る目も変わる。
堀人の異形と醜い肌は、神性を失ってしまえばただ賤視の対象でしかなく、穢れた存在であると認識されるのはもはや回避できぬことであった。


 そして話は現在へ戻るわけだが、幕暦234年、『月人の大乱』より優に100年以上経った今、堀人と直接的接触のある月鉱山町の人間も堀人同様、あからさまに見下される立場にあった。
澄咲月鉱山町の花菱といえば相当大きな町であるが、全てが等しく貧しく、虐げられている。もちろんまともな医者などいるわけもない。重い病や怪我など負おうものなら助かる見込みなく、自らの運命を呪いながら息絶えるしかない。

 ただそこに生まれてしまった者は悲惨である。
何が悪いわけでもない、そこで生を受けただけで虐げられる。劣悪な環境の中、希望など持てず、誰の心にも夢など育たない。そこで人々を捉えるのは思考停止と、そこからくる無機質な隷属である。風香のように町の外に出られる人間は特例であり、異例なのだ。

 無論、風香の願いは月鉱山町など底辺の世界を変えることにある。
故に彼女、蓮月全土へ医療機関を置くという三平の話に食いつくは当然であった。












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