「すまなかった!」

 深々と、深々と、琴乃が頭を下げれば、対する清香もまた深々、深々と頭を下げ返す。

「こちらこそ申し訳ありません!」

 三平の言動に、全てが感違いであると悟った清香と琴乃。
どちらがどちらも互いの浅慮を恥じ入り、謝罪する姿は緊迫抜けた滑稽を醸す。

 正直なところ、清香と琴乃の迂闊もまた一因であるとはいえ、三平の突拍子も無い行動が先の諍いを呼んだといえる。
がしかし、状況には泣いたもの勝ちという言葉が通用する時があるのもまた事実。

 別段、大泣きしたわけでもなし、頬を滴が数滴伝った程度である。
だが常から己を高めるに重きをおいた二人であれば、責めるは自らの不徳である。

「あの、すいません、僕が急に逃げたりしなければこんなことには・・・」

 しかし三平、目を擦り擦り、言う。
 自らが原因ともちろん分かっているのである。

「いや、それでも戦いだしたのはやり過ぎだったよ・・・」

「そうですよ、僕達にも非はあります」

 両隣からそう言われれば、三平、いよいよ自分ばかり弱っているのも恥ずかしいやらなんとやら、口調も改め、

「まず琴姉、突然逃げてごめんなさい。そして清香さん、迷惑掛けてごめんなさい」

 だけど二人とも本気で心配してくれてありがとう、とは詫びの気持ち大きく、口には出さなかったが、下げた頭に密かに感謝を込めた。

「僕が逃げたのは、どんな顔で琴姉に顔を合わせればいいか整理ついていなくて、それで突然、声を掛けられたから、つい・・・」

 気まずげに三平は言う。

 思うところあるのだろう、それで全て了解したか、琴乃は僅かに顔を曇らせ、

「・・・いや、いいんだ、それは分かるしね。
でも、口ぶりからするとわたしがかぐや候補って事は知ってたんだね?」

「はい」

 三平は頷く。

(かぐや候補?!)

 清香はその言葉に驚きはしたが、妙に納得してしまう。
 大業物を操る謎の武人という位置づけの女が実はかぐや候補であったという、自分の相変わらずの視野の狭さに嘆息混じりの納得ではあるが。

「三平は今どうしてるんだい?京都に住んでるのか?」

 そんな清香の心情知らぬは当たり前、琴乃は三平に語りかける。

「はい。今は医師として働いています」

 三平が言うと、琴乃は寸間目を丸くし、

「・・・医師・・・医師か!それは立派だ!頑張ったんだね!」

 顔を笑みで満たし、弟の勤勉を喜ぶ姉のよう、三平の頭を掻き抱いた。

 それは琴乃という女を知っている人間ならば目を疑う姿であろうことは間違いない。
 明け透けな歓喜の表現
 なりふり構わず慈しむ姿
 どちらも普段の彼女からは想像し難い姿である。


(どうやら二人は縁の深い仲のようですね)

 これさえみれば何も心配には及ぶまい、清香は判断し、居住まいを正すと、二人に声を掛ける。

「三平、僕は帰りますね。そして琴乃さん、今日は大変失礼しました」

 自分がいるは無粋とばかり、清香は引きをわきまえて、竹林を出ようとする。
事の詳細など三平が話したい時、話したいことだけ教えてくれればいい。傷だらけの咲夜を連れ帰った時、結局は何の詮索もせず治療してくれた三平。今、今度は自分が無償の友好と信頼を示すだけである。

「え?あ、ああ、こっちこそ済まなかった」

 咄嗟、琴乃がそれだけ言うと、清香は悪戯に龍切の柄を握って見せ、

「かぐやではお互い正々堂々、死力を尽くしましょう」

 言って、笑い、去る。



「かぐや・・・で、清香・・・あ・・・」

 琴乃は全てを了解し、頭を抱える。

 如何に自分が冷静を失っていたか、激しい自責とともに思い知ったのである。

 

     ☆★☆

 

 幕暦226年。

 蓮月南西に浮かぶ属島4国の最東国、阿州。

 水源豊かで、気候も温暖。農業、畜産、水産、林業、共に優れており、蓮月本土南西の要地である京や大坂と海を挟んで近く、交易も盛ん。
 そこから容易に察することできるであろうが、生活水準は高い。
もちろんその豊かな実りの恩恵に与れるのはごく一部、いわば支配者層、幕府の人間だけであり、島民は絞られるだけ絞られ、暮らしぶりは貧しいものであるが。

 蓮月の統治は極端に大きく別ければ、本土と属島からなっている。
 本土は最北端の奥州から最西端の長州までノの字のように広がり、本土長州より海を挟んで西に浮かぶ属島が9集、本土南西部の南に浮かぶのが属島4国、最北端の奥州よりさらに北、海を挟み浮かぶ広大な土地を持つ属島北州、からなっている。

 本土と属島の区分の理由は非常に明確なものである。

 蓮月という国、世界広しといえど、極めて異色を放つ国たらしめるは蓮月でしか採れない鉱石『月鉱石』によるものである。
 世界には翡翠、水晶、紫水晶、紅水晶、黒曜石、瑠璃、琥珀、虎目石、真珠、蛋白石、紅玉、蒼玉、金剛石、等々数多くの宝石があるが月鉱石を宝飾用に研磨したものは「黄金水晶」と呼ばれ、信じられないような金額で売買されている。
 まさに月をその身に宿したかのような黄金水晶、一筋の光当たらずとも暗闇で玉体から淡く粛然と黄金の燐光を発し、世の貴き階級の人間を虜にしている。
 そしてさらにごく稀に世に出回る「天色水晶」と呼ばれる希少品がある。
 これは蛋白石(異国ではオパールと呼ばれている石)に見られるような遊色効果を持ったもので、通常の黄金水晶の輝きに加え、あらゆる角度から光を採り込むことによって虹の如き極彩、炎踊るように揺れ映り、その色彩は天の世のものと形容する他に無い美を現す。

 宝飾としてだけでも莫大な富を生む月鉱石であるが、その真の特徴は武器として鍛えた時に発揮される。強力な月器はまさに一騎当千の力を使用者に与える。そして大業物に比べれば威力は落ちるが業物もやはり強力なものである。しかもこれは扱える人間も多く、ある程度の量産も利く。

 ここで蓮月の統治区分に戻るわけだが、月器を扱う素養を持つ者は皆、蓮月本土でしか生まれない。北州、4国、9集からは素養持つ者は生まれないのだ。
 その理由は判然とせず、また理論立ててそれを研究しようとする者も少ない。
 科学的見地が無いということは正しき理論の欠如であり、出鱈目な理論が生まれようとそれもまた無理からぬことである。

 それは蓮月という国において、古くから選民思想として現れたのである。
 特に権力者に於いてその思想は甚だ強く、同じ民族であるにかかわらず、北州、4国、9集を属国扱いし、当然その地に住む人間は奴隷扱いである。
 本土に住みし月の民と、月の力宿さぬ奴隷民。
 この構図は紐解かれた文献によれば最低でも600年は前からすでに確立していたらしい。

 さて、ここでさらに話は戻り、阿州に帰るわけだが、前述の通り、その地に生を受けた者が月器を扱う素養を持たぬというだけで、国そのものは豊かなところなのである。だが幕暦226年の大飢饉は全ての国を例外無く飢えさせた。

 それに加え、自然災害も次々重なるという酷い年であった。
 阿州は元々、毎年数度の台風通過があるが、その年の台風はあまりに巨大過ぎた。
暴風雨と、それによる河川の氾濫による水害。豊富な水源が仇となり、地を侵す毒となった。そして駆潮異変と呼ばれる不規則で激烈な海流の変化である。
 これは古来より駆潮南部で稀に発生する異常海流であり、なぜそれが起きるかは解っていない。判明していることはどのような熟練の船乗りでさえ一瞬で海の藻屑にしてしまうという事実だけである。

 だが駆潮異変が小康状態の時、特別交易船が大阪へ向け出向した。
 しかし船が津を出た直後、駆潮は再び荒れ狂い、商船を呑み込んだ。

 時の阿州守の(うじ)()はまったくの俗物であり、この時、己が身の心配しかしていなかった。
 真に民を治める資質ある者であればこんな時こそ私財を投じてでも民の負担を軽減するものであるが(事実、そのような出来た領主はこの年、各地にいたのである)、氏古は貧しい農民の僅かな蓄えさえも接収し、もはや国内は一触即発の空気になった

 いよいよ農民達の忍耐の緒も切れて、手に手に武器を取り、一揆を起こした彼らが見たのはしかし予想だにせぬ惨状、幕府の人間皆殺しによる地獄絵図であった。

 無論、自分達は手を下していない。戦闘の音などもまるで聞こえなかった。
 彼らには何も解らなかった。ただ一つ解ることは、ここには食糧があるということであった。そしてそれは極限状態の彼らを理性無き餓鬼の集団へと変貌させた。

 それから半月弱、天候も海流も安定し、大きな被害が予想される4国へ、幕府から新任の4国目付の者が渡国してきた。

 農民達は全てを包み隠さず正直に話した。
腹も膨れ、冷静を取り戻し、何日も荒れた天候の下ですることは考えることと寝ることくらいである。そして結果得た結論は、どのような誤魔化しも利かない、ということであった。全ての指導者格の者がその首と引き換えに残りの者の助命を乞うという、真摯でいて、しかし有効性に欠ける方法であった。

 だがそれは聞き入れられた。

 しかしその年の年貢は倍の量を要求された。つまりは罰として生き地獄を突き付けられたのである。

 氏古に代わり新しくやってきた阿州守の蜂屋(はちや)は強欲な男だった。
 身振り口ぶりも傲慢、略奪者の顔つきであった。だが、ただ我欲に振り回されるだけの男でも無かった


 蜂屋は実質的な指導者格の黒田三平家長処断し、後は速やかに生産能力の復旧に勤めさせた。
 各地で被害が出ていたせいか、無闇に人出を減らすのもうまくない。此度の状況は特殊なものであり、蜂屋からすれば正直、氏古の無能が際立ってみえる

 なにも慈悲を与えろというのでない、脅迫だろうが何だろうが適切に操り、蜂起など起こさせなければいいのだ、という考えである無能が消えて清々したくらいだとも思った

 それに農民達が手を下したわけがないことも解っていたということもある。死体の傷跡全てが尋常ならざる手練によるものであり、場数を踏んだ部下もそれを認めていたのだ

 蜂屋は蜂起した農民の家の子供を積極的に奉公として受け入れた、
というより、半ば強引に引き取った。体の良い人質である。

 といっても農民からすれば切羽詰まれば子供一人の命、まるで重くはない。
口減らしの為に間引きして殺すこと珍しくもない世だ。

 だが蜂屋は、引き取る際に充分な金を与え、災害の酷い時などは年貢の不足にも斟酌加え、しかし農民が味を占めて怠けようものなら厳しく罰するという方法を採った(結局、着任時に要求した倍の年貢の不足も許している)。

 つまり怠惰は許さぬが、誠心誠意働きさえすれば無下にはしないという、常に農民達の労働力を完全に稼働させるように努め、そしてそれは成功していた。
 はっきりいって国の末端(全人口の8割以上の人間)にとって国政の在り方などはどうでもいいのだ。一般国民はただ自らの生活への不満さえ少なければ、驚くほどにその政権を歓迎するものである。

 であるから結局のところ、私腹を肥やすという意味で蜂屋も氏古もまったくの同類であるが(むしろ蜂屋の方が悪質な人間である)、蜂屋による阿州統治は数年、驚くほど問題無く続いた。

 

 幕暦226年。

 当時、琴乃15歳、三平9歳。

 琴乃は蜂屋の妾であり、三平は蜂屋家下男。

 不遇の中で二人、兄弟のようであった







2P            
inserted by FC2 system