京都一の呉服屋『緋伊屋(あかいや)
四条の通りに店を構える蓮月有数の大店である。

 京のほぼ中心を南北に流れる脛川を挟んだ西に位置し、
京城下町でも特に賑わう四条通りに於いてさえ、その繁盛ぶりは出色している。

 ここ数十年で市井にも広く出回り、馴染み始めた異国の服飾文化の浸透に対して、緋伊屋の働きは決して小さいものではない。
 いや、それどころか時代の趨勢を見れば蓮月一の呉服屋と言っても過言ではない。


 元来、呉服商は見本を持って得意先を回り交渉するという「見世物商い」、
実際の商品を持ち込んで売る「屋敷売り」による二つの方法で商っていた。

 支払いもその場では行わず、盆と暮れに払う二節季払いの二括か、
暮れに一括で払う極月払いの「掛売り」しかなかった。
よって店としても客として最低限信用の持てる者でないと売ることはなかった。
 なので新しい着物を買うことのできない庶民などは古着屋で着まわされた物を買うか、着物の
(きれ)などを買い破れたところなど補強しなんとか遣り繰りするのが実際であった

 当時、呉服商が家に訪ねてくるのは裕福であるということを示すものであった
 ところがそういった呉服商の在り方を一新したのが江戸の大店
来巻屋(こまきや)である

 店頭による現金払いを始め、掛売りは無し
反物の切り売りにも細かく応じ、庶民は皆、来巻屋に殺到し
 そうなると従来の営業方はすぐに廃れ、あらゆる呉服屋は店頭での小売りという形に切り替わ

 そして当時の京都に於いて、いち早く来巻屋の遣り方を取り入れたのが緋伊屋であった。

 しかし京となれば、江戸とは立地も違えば仕入れもまた違う。
であれば京独自の商売を展開することもまた可能、と思いつくあたり、時の主人の商才もまた並ではない。


 9集肥州の築島(つきしま)
 扇を広げたような形のその人工島は蓮月国との交易を許された場所歴史規模ところ

 その当時すでに肥州から京都への廻船を用いた輸送路は確立されており、
さらにその当時にはさほど需要の無かった異国の服飾品を多く買い入れ、それを異国の珍奇名品として店に並べた。

 それはあまりに異様な光景であり、最初は町民誰もが声を失った。
 まだ店頭での小売りという販売形態自体が京では馴染みきっていなかった時期であることを鑑みれば、その異様は計り知れない。

 しかしこの頃すでに蓮月の町民の一部は比較的豊かな暮らしをするようになっており、日々、娯楽や服飾に金を掛けるくらいの余裕があり、それらの人々はすぐに異国の新奇なる品々を求めるようになった。

 京は古来より、非常に歴史ある国であったが、蓮月が全土を統一してからは全ての文化が江戸を基調として広がるようになり、地方地方での国民性というものは統一後二百三十余年、相当に薄まりつつある。

 しかし古来よりの伝統や歴史を愛し、
又は固執し、時流も何もお構いなし、異国の品など以ての外とばかり、鼻息荒くする連中もいるところにはいる。

 緋伊屋はその異国の服飾文化浸透の先駆けであり、その主人ともなれば蓮月有数の豪商である。
性質の悪い者が店に現れることもあれば、主人が会合やらで外出する際なども決して安全だとは言い切れない。
 くだらないやっかみから複雑な利権問題まで種々の問題が内在しており、あらゆる大店がそうであるように当然、緋伊屋も用心棒というものを雇っていた。




 現かぐや候補の一人「百地(ももち) 琴乃(ことの)
 彼女は京都の豪商・緋伊屋の用心棒であった。


 琴乃の用心棒としての働きぶりは二の句も三の句もなく、
ただ一言、極上の一句に限る。

 琴乃が用心棒となってからというもの揉め事は皆無に等しく、かぐや候補となってからは、客もなにやら礼儀の正しいことこの上ない。
 
 武力を行使することなく、その武威により悪しきを防ぐ。
抑止力として文句の無い働きであった。

 まして緋伊屋はあくどいことなく、ただその商才でもって現在の繁栄を築いたわけであり、叩いたところで埃など出ない商家である。
 琴乃が来てからはもう大きな問題など起きたことがなかった。


 であるからして、彼女の普段の暮らしぶりだけをみれば、用心棒というより食客に近い。



 大店である緋伊屋はもちろんその規模も大きく、働いている者も150人を超す。
 屋敷の中央には中庭があり、本来は採光と通気性の確保の為、
また目を愉しませる為のそこはしかし、今では半ば琴乃の稽古場と化している。

 用心棒としての仕事は、かぐや候補という武名によりつつがなくこなされている以上、彼女が店先に立ち、睨みなどを効かせていればむしろ商売の邪魔である。
 結果、琴乃は空いた時間を自らの鍛錬に費やすことができた。

 しかし琴乃はそんな待遇に得々としているわけではない。
 用心棒としての臨機応変さ以外の仔細を主人と事細かに契約しており、
主人が店に居て、営業に特に問題の無い時は中庭で鍛錬することもまた最初から許しを得ている。



 琴乃という女はそういう性分なのだ。
慣れ合いよりも規律、とでも言おうか、人との距離のつくり方がどこか無機質で、約束事に嵌め込むことで立ち位置を固定する。
そこからはみ出てこられると不快、とまでは言わずとも若干に不信が滲む。

 彼女の望みもまた、清らかな清香と同じく、平等な人の世である。
にもかかわらず琴乃自身、どこか人を信じ切っていないようなところがあり、
無意識かどうかはさておき、身分や職業によってある程度人間性を限定して捉える節がある。自ら排そうとしているはずの身分の溝に嵌り込んでしまっているのだ。

 誰彼構わず明け透けに接することなど彼女の性格上出来ない相談であり、
そのような人間であるから、緋伊屋で働いている者は大勢いれど、彼女に親しく接する者はほとんどいない。
加えて、彼女が肌身離さず持っている大鎌の大業物『落牡丹』の威圧がより硬質な人間関係をつくることを助長している。

 だがそのような彼女であるが、疎まれている、というわけでもない。
 前述した人間像を覆す言動、柔らかな表情を見せることもある。
 彼女は下働きの者、特に丁稚奉公などの下男下女などには特に優しかった。



 ある日、一人の丁稚の少年が体調を崩し床に臥せった。
 みな忙しく看病の手など無い。

 たかが風邪、されど風邪。
関節は軋み、
(はな)は出る咳は出る、熱に朦朧とする
重く罹れば立派な病気である

 それでも尚、働こうとする少年を見掛けた琴乃は自分に用意された部屋に連れて行き、布団に寝かせ、いつものようなしかめ面でなく、慈愛を目元に湛え、寝ているようにと言ば、少年の強く張られた気は夢に落ちるよう、ほどかれた

 少年が寝ている隙に琴乃はの仕事を全て片づけ
食事を用意し、日課の鍛錬もせず、看病をした。
 これに関して誰もが驚いたが、文句など出るわけがなかった。
とにかくも仕事は片付いているし、琴乃の行動に至っては誰も干渉できるものでもない

 そして回復した少年は生来の素直な性格も手伝い、琴乃と遠慮無く言葉を交わす数少ない一人となった。


 そのようなことを通じ、琴乃に対して緋伊屋の面々が持つ、
大業物を操る人外の武人というような畏怖の念は薄まり、
充分に人間味を含んだ孤高の人というような見方に変わっていった。

 だがもし情深く、人を視るに長けた者が見たならば、その者は琴乃を不憫な人間だと言うかもしれない。

 彼女は身分の低い者など弱い立場の人間には優しく、身分の高い者や権高な人間を非常に嫌っていた。
 この説明だけ、それのみを強調したならば、有徳の士にも聞こえなくもないが、彼女の場合はまた意味合いが違ってくる。


 例えば人の世には善と悪がある。
これはただの概念であり、行動の指標にはなっても、絶対的な正当性を自分以外の人間全てに認めさせることはできない。
 神仏の衣を纏おうが、悪鬼の面を被ろうが、人外の理は備わらない。
 善と悪はどちらも人の手で練り上げられた業の経典である。雑食の生臭さが嫌でも鼻をつく。
 兎に角ここで言いたいことは、要はどちらも盲目に頼るにはあまりに危うい代物であるということである。

 しかし琴乃は善と悪の二元論という極論に走る傾向が強い。
 強欲の者が悪で、慎ましく生きる者が善、というような。

 悪は滅し、後、平安な世を築く、という図式である。
 邪魔者は消す、という、排他的で独善に満ちた遣り口である。
 こうなると力こそが善という定義が組み上がりかねなく、邪魔者の烙印を押された者は何者であろうが排除対象になってしまう。


 しかしどうだろうか。

 琴乃は、本当は、今の自分では真に望んでいる世は築けないとどこかで気付いているのではないか。

 元よりこのような性格ではなかった彼女。

 こういった矛盾はその生い立ちに起因するのかもしれない、
 が、琴乃は全てを棚上げして自らを鍛え続ける。

 かぐやになれなければ始まらないのだ。











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