むしろ自身の情報は全てさらけ出し、まっさらな状態に於いて正々堂々と勝利する。
肉も骨も断たずに成せれば尚のこといい。
死によってもたらされる勝利など清香にとって決して雪(そそ)げぬ悔恨を己に生む負け死にと同義なのである。

「これが僕の月器です」
 であればこそ清香は、咲夜の前で龍切を抜いた。
咲夜がそうしたように清香自身、己が手の内を隈なく曝すつもりである。


(馬鹿な娘だね)
 咲夜は清香の心情を察し、思う。

しかし言葉とは裏腹の気遣うような情が宿っていた。
 清香が示した行動は崇高であるかもしれないが、それだけだ。

自己の正義を貫いているだけである。
見ようによってはひどく美しい側面があるというだけで、それは結局何事も成し得ないだろう。

 はっきり言ってしまえば清香は甘いのだ。

咲夜は断ずる。
あえて言う機会がないので言わなかったが、清香の御披露目も見たし、
過去何度も清香の演武も見ている。死合いは一度もしたことがないと聞いた。

なるほど、御披露目で人の生皮一枚出てきただけで腕は止まり、動きは鈍る。
人は斬ったことがないし、これからも斬りたくありませんってことか。

 絶大な権力を褒賞とするかぐやである。
自分だけ綺麗なままで勝ち得ようとするのは傲慢以外の何物でもない。

 咲夜は思う。
言うなれば傲慢とは甘さである。

 弁(わきま)えるべきを弁えず、思慮に欠け、
己の世界だけが眼前で誇大に膨らみ、故にそれしか目に入らない。

 何も支払わずに莫大な利を得ようとしているのだ。
清香の正義感自体は不快ではない。崇高であり、優しい心根を持っているのだろう。

しかし刀を持った以上、奪わねばならぬ命は奪う。
奪わねばならない。
それが必要とされる時がくる。

そしてその時は迅速果断にそれを成すのである。当然のことだ。

 誰しもの正義が甘く、実質柔弱なわけではないが、
清香のそれに於いては理想ばかりが独立先行し過ぎている。

どんな大義名分があっても殺人と謀(はかりごと)だけは許容できない性質(たち)なのだ。

殺し合いを娯楽として供する死合いなどもってのほか。
大義でもっていかに名分が通っても、自ら信ずる正義が許さない。
信奉するは己が心のみ。

これを傲慢と言わずしてなんと言おうか。

 おいそれと自分の手の内のほとんどを曝した自分も甘いのかしれない。
しかし咲夜は自分の甘さを棚上げして清香を甘いと断じているわけではない。

 咲夜の三千月夜に於ける戦績は清香同様に演武主体である。
しかし少なからず死合いもこなしている。

もちろん相手が降伏した場合はそこで止めるが、
死を目前としてもなお戦意衰えぬ者は容赦無く粉砕している。
幼い頃から武芸に通じているわけではない咲夜は、個人的な訓練と演武で腕を磨きつつ、
死合いで実戦経験を積み、地味に、しかし確実に実力を付け、
約2年で芽が出た。

もとより大業物級の使用者である。
その資格を有する者はみな身体能力に優れ、
戦闘に関する勘が良いというのは世の誰しもが知っているところである。

 他人への娯楽の為に人を殺す。
 この行為に歓びは無い。皆無だ。
しかし蓮月という国に於いて特例でもあり異常とさえ言える褒賞を考えれば受け入れようとも思う。

咲夜も遊びでやっているわけではない。
成さねばならぬことがある。
自分一人が不快な思いをしてそれで済むなら取り引きとしては極上である。

 欲せば与えられるかもしれない。得られるかもしれない。
しかし対価は必要である。
甘やかされるだけの愛玩犬であっても生物としての矜持を切り売りしているのだ。

 あれも欲しいこれも欲しい、が、自らは何も負わない(苛烈な剣の稽古などここでは何の責にも含まれない)。
これは反則だ。常道から外れている。
甘ったれた思考である。

全てのあらゆる品性や矜持を捨てろというわけではない。
真に成さねばならぬものがある時、表層の清潔などはいくら汚れようともその精神は汚濁することなどないのだ。

 だが清香からは己が精神に染み一つ飛ぶことも許さぬような潔癖を感じる。
己が規範にだけ従い、人里離れて偏屈に、孤独に生きるのならそれでもいいかもしれないが、清香の望みは違う。

国の有り様、人の有り様を変えようとしているのだ。
生半可のことではない。あらゆる純潔を捧げ、破瓜(はか)の流血に溺れ、血の泡(あぶく)を上げながらも狂ずることなく、それが己が道であれば汚泥の底を邁進(まいしん)せねばならない。

 清香の望み。

 差別の無い世をつくること。

 それは蓮月の統治を根底から覆し、改革を成すことを意味する。
無血で成すなど幻想ですらない。

子供でも分別つくであろう空想である。
それは清香もほとんどわかってはいたが、それでも相応の地位を得、誠意を持って話せば説得できるのはないかという望みも確かに持っていた。

幕府内で政策案がどのような経過で通り、吟味され、施行されるかなどまるでわかっていないのにである。

 結局、清香の願いは子供のように清らかで
覚束(おぼつか)ない空想に支えられているのである。

 それは野心というにはあまりに無垢に過ぎる。
 真雪のようで、いかようにも汚れ、ぬかるみ、醜悪になる。
 ゆえに危ういのだ。

「これも大業物かい?」
 咲夜はあらゆる感情と思慮を押し込め、清香の抜いた龍切に意識を向ける。刃長2尺3寸ほどの平均的な刀身には龍の彫が施されている。

「これはまた見事なもんだね」
 いつの間にか高煙亭を通常の煙管に戻した咲夜は、
再び煙を呑みながら感嘆する。しかし清香は咲夜の言葉に対して嘘をついた。


「・・・はい、大業物です」
 偽りを口にし、チクリ心が痛む。


「名は?」
「え?え〜と・・・紅龍です」


「紅龍・・・」
 咲夜は再び龍切に施された彫をみる。なるほど、確かに彫られた龍は炎熱を纏(まと)っているようにみえる。

 しかし清香が何かを隠しているのは明らかだった。挙動がささやかな不審に満ちている。
泳ぎそうな目を無理に固定しているのか妙に視線が一点に固まり、身体も自然体を意識して(これが不自然極まりない)緊張と脱力の間を密かに揺れ動いている。

(嘘が下手だねえ・・・)

 咲夜は内心、微苦笑を漏らす。もちろん蔑みの類は無い。
慈しみに近い。隠しようもないほどの清香の善性に純然たる好意を抱く。

 しかしその善人が必死になって嘘をついているのだ。
もちろん清香なりの理由(わけ)があるのだろう。
 察した咲夜は大人しく騙されることにした。

(はあ・・・二回も嘘をついてしまいました・・・)

 咲夜に気遣われる一方、清香は心中で落胆に肩を落とす。

 しかし神剣だなどとはさすがに言えなかった。さすがに神剣を所持しているとなるとそれなりの理由が必要とされる。
稀なる僥倖(ぎょうこう)によりあい巡り会いました、ではさすがに無理がある。

というより大業物から蓮月幕府が厳重に管理しているのに、なぜ数本しか存在しないと言われる神剣を所有しているのか。

これを問われた場合、清香は何も言えなくなるだろう。
 確かに歴史の奔流の中で世に埋もれた神剣もあるかもしれない。

それを偶然手にしたと言い張れば、確率論的にはありうる話ではある。
しかしやはり信憑性は低すぎる。

(でも正直に神剣と言っても、それはそれで信憑性はないですかね)

 清香は皮肉混じりに思う。
 しかしさらに皮肉なことに、清香自身が神剣を所有するに至る経緯の詳細を知らないのだ。
いってしまえば7年前、清香が10歳の時に姿を消した父・忠人から譲り受けただけで、
なぜ父が神剣を持っていたかなど肝心のところは知る由もない。

自分が生まれる前は蓮月幕府軍部でそれなりの地位に就いていたらしいが、いかんせん詳細は記憶の靄(もや)に消えている。

 いや、これは大層な言い様であろう。清香は父のことをほとんど知らない。

 厳しく、優しい人だった。剣の師。憶えているのはそれくらいだった。
そしていつも、どこか途方もない悲しみに暮れているような人だった。

 そして何よりも過去の事を話すのを嫌った。嫌悪の情をみせたことはなかった。
疎ましい態度を取られたこともなかった。
しかし過去に触れると父は、微動だにせず苦悶に捩(よじ)れてみえた。

当時の清香は子供特有の鋭い感受性と洞察眼で、父に過去の話題を切り出すことを禁止した。

皆にいる母親という存在がなぜ自分の傍らに存在しないかということも気にはなったが、
努力して気にしないことにした。

父に対する尊敬と思慕がその努力を実らせた。しかしその父ももういない。
居所はようとしれない。生存さえも定かでない。だから龍切について詳しく答えようもない。

「能力はどんなだい?」
 変に清香を追い込まぬよう、なんとなしの風で咲夜は訊いた。

「有体に言えば炎を生み、操ります」
 父の現在を思いつつ答える。

 これは嘘ではない。
本当のことが言えて若干の安堵をついていることに気付く。
だが龍切の話題が続けばつきたくもない嘘を再び吐かなければならないだろう。

ただでさえ不快なことであるが、不意によぎった追憶によって、意識の内に父が強く蘇っている。

清香は父に嘘をついているところを見られているような後ろめたさを感じ、それを打ち消すかのように急いで話しを逸らした。

「そうです!」
 清香はわざとらしく手を叩き、声を上げる。

 要は誤魔化し、話を変えるだけであるが、その咄嗟の思いつきは発案者の清香をして、興奮すら伴い、あらゆる意味での有用性を認めさせた。

 清香は乗り出すようにして、触れ合わんばかりに咲夜へ身を詰める。
 すでに血が発火し、体温が上がっている。

 清香は高揚の滲む声で提案した。


「どうです咲夜さん、月器使い同士、手合わせしてみませんか?」

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