隠密廻りの連次は急いでいた。

 陽の落ちた庭園は静穏に満ちている。
 不穏は感じ取れない。

 あらゆる時刻、あらゆる気象条件の中での庭園を幾度となく見ている。
 庭園の全ての表情を知っているのだ。
 
 その連次の眼から見て、なんら異常は無い。
 風雅の極みにある庭園が宵闇の薄絹を纏い、媚熱を内に籠めるよう、奥ゆかしく、 だがどこか妖しく、楚々と広がる。

 穏やかな夜に現れる、一宝庭園の最も美しい表情の一つである。
 連次は密かに思っていた。
 そして今宵もまさに見事な夜である。

 密かに見惚れる情景。これに異変があれば気付かぬわけがない。

 連次・男・齢は数えて十九になりたて。
 若さという回避できぬ未熟はあれど優秀。研鑽を積めば現時点では器用で留まる能 力を限りなく万能の域にまで押し広げる才覚を生まれ持っている。



 途中、通りで立て続けに起きた揉め事。

 一つ一つは取り立てて大したことのないものだった。
 どれも町内でよく起こる喧嘩程度のものだ。常廻りの役人に任せて自分の巡廻を続 けてもよかった。

 いや、普段ならばそうしていただろう。
 しかし何かが臭った気がした。
 彼を優れた個体たらしめる第六感、嗅覚が形容できぬ違和感を感じ取ったのだ。だ がその発生源までは分からない。
 時期が時期である。慎重を期す必要がある。


 結果、連次は巡廻の足を止め、一つ一つの揉め事を俯瞰し、大にあって細を穿(うが) つよう観察した。

 揉め事の当事者の言動、
 周囲の人間の表情や動き、
 さらにその周囲の人間の流れ。
 活気ある通りで起きた揉め事と、それに出くわした人間。

 反応は非常に分かり易く、読みやすい。
 そしてそこで異質な反応をする者を探せばいいのだ



 しかしどれほど観察しても、あるのはただの喧嘩である。それが二回続いた。

 連次はすっきりしない思いを抱えながら巡廻に戻った。
 その途中、一宝庭園の方から歩いてきた町民の多くが清香と咲夜の事を話していた 。

 それを聴き取った連次の頭の中で悪い予感が弾ける。
 だがそれだと辻妻が合う。
 引っ掛けられた可能性が高い。揉め事はどれほどみてもただの揉め事のはずである 。足止め目的の喧嘩だとしたならば、なるほど確かに不審な点など見つかるわけが ない。
 自分が慎重を期し、足を止めたことは悪くはない。
 しかしそれならそれで何故、すぐに要員を補充し、通常の巡廻に充てるなりしなか ったのか。


 連次は陽の位置を見る。
 そして思わず舌打ちを鳴らした。陽はすでに没する寸前だ。
 本来なら庭園の半ば程を巡廻しているはずである。
 巡廻の目が回らず、約一刻半、空白の刻がつくられている。

 そしてそこへ向かうかぐや候補。偶然とは思えない。
 偶然の可能性もあるにはある。
 が、自らの立場上そのような楽観などできようもない。

 しかしそれでも偶然が重なっただけではないかという思いもまた拭い切れない。
 途中起きた喧嘩があまりに巡廻経路の要所を押さえて発生しているのだ。
 それゆえ怪しいのだが、しかし町内巡廻を任とする隠密以外に巡廻経路を先読みで きる者がいるだろうか。
 それは不規則性を持たせるため、あらゆる要素を組み合わせ二十通りはある。
 調べるにしても隠密にまったく気配を悟らせることなく調査できることなのだろう か。

 隠密に気付かれずに隠密をつけ続ける。
 言うに易いが実践するにはあまりに難い。
 
 それを成された可能性よりは偶然が重なった可能性の方が現実的なのである。
 いや、もちろんそんな楽観を信じきるわけにはいかないが。
 連次は気を締める。
 だがまて。思考の角度を変える。
 もしくは内部の裏切りか?
 忍である以上、余計な情は捨てあらゆる危機を想定し、備えるべきである。
 その可能性もまた皆無とは言い切れない。
 偶然か、裏切りか、
(はかりごと)か?


 連次の意識、様々な憶測を孕みつつも足は最速で庭園へ向かい動いていた。途中、 もう二度、揉め事が起きていたが無視した。その時、すでに陽が落ちてから一刻は 経過していた。

 庭園は見慣れたものであった。
 しかしやはりどこかおかしい。
 勘ではある。しかし状況を鑑みれば何かが起きた可能性は極めて高い。
 情景に差異は無い、が、違和がある。




(・・・あれは!)

 そしてついに連次の目が清香達を捉えた。
 
 距離は約三町。

 右の掌で筒を作り、
遠見(とおみ)の術を使う。

 手筒を覗き込むと掌中の中で距離が一気に縮まる。
 覗き見て、連次は了解した

(やはりかぐや候補襲撃があったか!・・・)

 無数の切り傷をつくった二人を発見し、
 まず連次を支配したものは任務を遂行する冷静さとは対極にある憤激であった。
 連次は最優先事項である任務さえ忘れ、自らの愚鈍を呪った。

 連次は声無く、憤怒の塊となるが、
 しかしそれをすぐに抑えた。
 ここで自責に駆られるなど自慰に等しい。
 非はもちろん重く受け止めるが、
 まずはこの状況で自らがやらねばならぬことをしなければならない。

 連次はすぐさま懐に手を入れ、
 広域通信に用いる風笛を取りだした。

 一聴してただの鋭い風の音にしか聞こえないそれは音の高低、長さなどの調節・組 み合わせによって幕府隠密にしか通じない通信符号となる。
 音の届く範囲は環境によってことなるが最大5町程。
 京都や江戸など大きな都には五町と離れず隠舎と呼ばれる風笛中継家屋が建てられ ている。すなわち町内で火急の件が起きた場合、隠密が風笛でそれを伝えれば隠舎 の者により次々中継され、瞬く間に都中に情報が伝搬するよう出来ている。


 かぐや候補襲撃など火急中の火急である。
 連次はすぐに風笛を口に当て《かぐや 襲撃 南東庭》と鳴らそうとする。
 南東庭とは一宝庭園を簡略化したものである。


 だがそれは思わぬ形で失敗した。

 風切り音もまるで無く、
 風笛を持った右手の甲に手裏剣が刺さっていた。

(!?)

 連次は痛みも忘れ、手に刺さった手裏剣を見る。
 と同時に、筋肉と神経が突然の裂傷に驚き、風笛を落とす。

(敵!)

 連次が気付き、手からこぼれ落ちる風笛を掴もうとする前に、新たに飛んできた手 裏剣がそれを粉々に破壊した。

(しまった!)

 連次は右方を睨む。
 手裏剣が飛んできたのはそっちだ。
 敵の姿は見えない。しかし茂みの揺れる音がした。

(あそこか)

 連次は短刀を抜き、敵を追い、密林へ入る。








(素質はあるのだろうが経験がまるで足りていない。そして短気だ。冷静を欠いてい る )

 白命は密林を走りながら連次を評する。
 第一、自らに手裏剣が刺さるまで気付かぬほど気配を断つことのできる相手があか らさまに物音を立てて逃げた時点で警戒すべきである。誘い込みだとは思わぬのだ ろうか。


(もはや死地に踏み込んでいるというのに、呑気なものだ)

 すでに風笛は壊した。
 手裏剣で急所を狙ってもよかったが、即死の威力はない。
 死の際の使命感で笛を吹かれれば面倒だ。だからまず確実に風笛を壊す。
 そうすれば 隠密一人などどうということはない。すぐに排除して自分も庭園から 離脱する。


 白命は巨木を背に足を止め、腰に差した忍刀を掴む。


 特殊中業物『
隠形(おんぎょう)()



 力を発動させると白命の姿が完全に消える。
 気配も音も消える。
 あらゆる生物の認識から外れ、存在そのものが透化する。

 白命の姿を見失い、気配を探る連次に彼女は無遠慮に近付いていく。
 隠形鬼を使わずとも後ろは取れるが、これが最も時間の掛からない方法である。


 身を隠し、自らの気配を断ちながら相手の気配を探る連次の力量も決して低いもの ではない。
 しかし白命はすでに連次の真後ろに立っていた。
 才気ある若者ではある。
 しかし背後に立つはある種の到達者。才に愛され、それを冷然と使役する者。
 歳の程は変わらないが、その力量には埋め難い差がある。


 白命はそっと連次の耳元に口を寄せる。
 それはまるで
睦言(むつごと)でも囁くような仕草である。
 しかし紡ぐ言葉に情感無く、無機質。
 彼女は、彼に、彼の終わりを告げた


「ここだ」

 耳元で突如言葉が生まれ、
 瞬間、
 連次は血の凍るような恐れに支配される。

 そして身体が反応するよりも早く、恐怖の中で彼の意識は永久に途絶した。
 首が捻じり折られていた。


 白命は連次の頭から手を離した。

 あとは死体を処理し、犬奴彦達と合流する。
 それで今日の任務はすべて終了だ。











 

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