腹が減っては戦はおろか日常生活さえ儘(まま)ならない。

 心身を研鑽(けんさん)する没入的な一人稽古から意識を日常に引き戻したのは
何てことはない、空腹であった。

 滋養が不足すれば活動は鈍る。
その点では人も獣もすべからく同席に着す。


 清香は身を清めると、町へ出て、玄米、茶、味噌玉(簡易味噌汁)を数日分だけ買った。

 清香の食生活は質素だ。

 飯のおかずはその時々に近所を売り歩く行商人から買えばいい。
それで日中こと足りる。

 金がないわけではない。

 否、むしろ相当に持っているといってよい。
 ないわけがないのだ。

 三千月夜では知名度(いわゆる人気)と、
その時の死合いなり演武の危険度を統合し、それに見合った報酬が支払われる。

 人気と実力を双方兼ねる「かぐや候補」が貧窮(ひんきゅう)することなどまずない。
豪商などが足繁(しげ)く通う料亭を己が居間の如く飯食う処にしても余りある財がある。


 要はただ使わないだけなのだ。

 多量にあるから湯水のように使い散らすという感覚が嫌いなのだ。

 常に新しい文化を生み出す享楽の都・江戸では
そのような一種自滅的な振る舞いに危うくも奔放な色気を発見しているが、
清香個人はそういったものを快くは思わない。

 別段、清貧を旨とするわけではない。
若年なりに、あらゆる階級の人間をみてきた。

 貧しければ清いわけではなく、
富めば悪辣(あくらつ)なわけではない。


 常に己を高潔に保つものは自身の意志に他ならない。

 清香が望むは、もちろんもはや持ちうる富でもなく名声でもない。

 いうなれば機能美であった。


 己の理想を遂行させる強靭な自己を鍛え上げること。それ以外にない。

 余計な欲は目を曇らせ、魂に脂肪をつける。
 無論、時には精をつけるために獣の肉も食うし、息抜きだってする。
しかし強靭な意志は息継ぎをほとんど必要とせず、鋼鉄の塊を思わせおし進む。


 当面の目的は「かぐや」だ。

 それを制し、幕府入りする。「候補」では意味が無いのだ。
曖昧な名声と富など必要を成さない。



「お〜い」

 それにはやはり、何をおいても心身の研鑽を積むことが必要不可欠だ。

「お〜〜〜〜い」

 それによって神剣の受容体としての器を強固にする。

「お〜〜〜〜〜〜〜〜い!」

 そうすればより多く龍切の力を制御下におくことができ、武力は格段に飛躍する。

「聞こえてるか〜〜〜〜〜?!」

 できることならば神剣の力は抜き、純粋な剣力だけで勝負したいところだがそうもいかない。
 先日の御披露目の日、あの衝撃。
 白命と千鳥には今の自分の地力では恐らく太刀打ちできないだろう。
 ならば潜在する力に賭けるしかない。

「清香!!」

「はい!・・・・・・えっ?」

 強く名を呼ばれ、思わず返事をする。が、一呼吸置いて困惑。あまりの不意打ちに驚き、背中に竹串刺されたようにシャンと直立する。

 立ちたるは四条通り。
 まさに天下の往来だ。
周囲の注目に思わず頬が桜に染まる。

 本来、注目を集めることは不得手なのだ。


「こっちこっち!」
 威勢の良い声が響く。

 改めて聞けば若い女の声だ。導かれ、主を探す。


「こっちだって!」

 もう一声上がると、彷徨(さまよ)える清香の視線は声の主を捉えた。

 鮨(すし)屋台にいる彼女は年の頃なら二十歳程。
艶やかな髪に、しなやかで豊満な肢体。器量も良い。

 しかし着崩した着物から派手に覗く胸元や脚に清香の潔癖が反応する。婀娜(あだ)といえば婀娜だが清香にとっては堕落の印象が強い。彼女のもとに行くか迷う。


「お〜〜〜い」

 向こうは反応してもらって嬉しいのか、笑顔で手招きしている。
(でも悪い人ではなさそう)


 ただの直感ではあるが清香は思う。
それにやはり、気づいておいて無視して去るなど清香の良心が許してくれそうにない。

 清香が歩いて行くと赤ら顔の彼女は嬉しそうに笑った。
 酔っ払いであった。


「大声出して悪かったね。わっちは咲夜。あんたかぐや候補の清香だろ?」


「ええ」


「わっちもかぐや候補なんだけど知ってた?」


「うそ?!」


「嘘じゃないって!」
 清香の反応がよほど可笑しかったか咲夜は酒を一飲み、笑う。次いで、鮨を口に放る。


「ごめんなさい、そうとも知らず・・・」


「いいよいいよ。面白かったし。でもやっぱり知らなかったかー」


「えっと、咲夜さんは僕を知っているんですね。この前の御披露目の時に見たんですか?」


「その前から知ってるよ」


「え、そうなんですか?」
 清香は軽く狼狽。意識していなかった視線の存在に少々気恥かしさを覚える。


「他のかぐや候補のことなんて知ってて当たり前だろ?」


「・・・確かに」
 当たり前のことを当たり前に言われ、
探し物が目の前にあった時のような気の抜けた発見をもって、
清香は認めた。

 と同時に、己の視野の狭小さを自覚せずにはいられなかった。
(三平のことを笑えませんね)


 今はそれでもいいかもしれない。
しかし相応の身分を持てば、
こうも自らの立場に無自覚ではいられない。

 清香は己が過失を認め、改善を誓う。

 ここで〈過失・改善〉という捉え方になるのが生真面目な清香らしいといえばらしく、
おかしくも危うい印象がある。


「お〜い」
 沈思しだす清香の意識を咲夜の声が呼び戻す。


「あ、ごめんなさい」
 清香は咲夜に応ずる。


「とりあえずなんか食べれば?」


「そうですね・・・えっと、じゃあ、コハダを」


「あいよ」
 応じて握る店主。

 差し出された鮨を頬張る清香。
 そんなやりとりを介し、詰まり気味の空気を換気させつつ、改めて咲夜は尋ねる。


「でもあんた、かぐや候補がどれだけ有名か本当に解ってんのかい?」


「え?あ、はい・・・一応・・・」
 咀嚼(そしゃく)し、嚥下(えんか)し、
数瞬思案した結果出た回答は随分と頼りないものだった。


「じゃあ言い方を変えるよ。あんたがどれだけ有名か解ってる?」


「解りませんよ」
 途端、迷いの無い返答。


「結構な人気持ちなの知ってる?」


「知りません」


「あんたが愛想良くさえしてれば町人の人気ごっそり集められるんだよ?」


「無理です」


「ついでに訊くけど、御披露目のあとに宴席が設けられてたのとか知ってる?」


「え、そうなんですか?」


「なんだよ、何にも知らねえな!赤ちゃんかよ!」
 咲夜は大いに呆れ、再び酒の飲む。


「でもそう言われても一言も声を掛けられたことないですよ」
 一方、清香はしょげかえりそうになりながら反論する。

 歳相応に繊細なところももちろんあるのだ。


「それはいつも無愛想で訳あり顔のしかめっ面だからだよ。みんな遠慮してんのさ」


「そんなこと言われても・・・」


「でも好かれてる。みんな解ってんのさ。
あんたの性根が良いってことをね。
なかなかどうして人間も捨てたもんじゃないってもんだよねぇ〜」


「性根が良いなんてそんな・・・」
 もちろん常に善たらんとはしているが、
こうまで明け透けに言われると
清香の控え目な精神はこんがらがって上手く言葉を紡げなくなってしまう。


「いまいち釈然としないって?」
 そんな清香を見る咲夜は、言いつつ己が閃きに笑みする。


「よしっ!見てな!」
 言うと咲夜は屋台の板葺きの屋根に飛び乗り、
人の溢れる往来を大仰に見回すと、
その全ての人間に号令を発するかのような大声を上げる。


「民よ!!」
 屋台の上、意味も無く右手を振り下ろした咲夜に衆目が集まる。


「お、咲夜だぜ」

「なんかやってんな」

「いや、なんもやってないだろ、あれは」

「なぜ屋根に?」

「民よ、とか言ってたが・・・」

「良い陽気だからな」

「黙って鮨食え」
 人々がほどほどにざわめく。


 咲夜は屋根から降り、清香の隣に戻った。


「見たかい?かぐや候補一の人情派咲夜さんの人気を!」


「泣きそうな顔してますが?」


「泣かないさ、家に帰るまではね!」
 宣言し、悲しい酒を飲む。


「とまあ冗談はさて置き、御覧のとおりかぐや候補なんて誰もが知っているってことよ」
 ケロリと表情を戻し、咲夜。


「まあそれはなんとなく・・・」
 清香もとりあえず頷く。


「それに人気だけで言えばあんたは2番手だしね。手の一つでも振ってやったらどうだい?みんな喜ぶよ」


「人気だったら?」
 その言葉がひっかかり、軽口は無視する。


「そうさ、人気ならな。一番は千鳥ってチビッコで次があんた。陰と陽。対極だね」


「陰・・・」


「あとは正直どっこいかな。わっちと百地(ももち)ってやつと風香(ふうか)って子。白命ってのが一番下になるって具合か」


「白命が・・・?」


「なんだ、知ってんのかい?」


「ええ、御披露目で千鳥と白命は見ました」


「そうか、ならわかるだろが、実力込みだと千鳥と白命が一番人気だ。
次があんたで、その下にわっちと百地がきて、風香って子が一番下にくる。
さっき白命の人気が無いって言ったのはあれさ、
あいつの冷たさは愛想の有る無いって程度の問題じゃないんだよなぁ」


(やはり・・・)
 清香は思う。全員の実力を知っているわけではないが、千鳥と白命に関しては間違いないだろう。


「でもまあ・・・」
 納得顔の清香に咲夜はにんまり言う。


「下馬評を覆すってのが一発勝負の面白いとこだしね〜」
 言いつつ杯を傾ける咲夜の顔は賭博師の向こう見ずな笑みをつくっている。


「あの二人に対して何か勝算があるんですか?」
 対して清香は恥も忘れ、必死に訊いてしまう。


「あると言えばある、ないと言えばない、かな」


「?」
 含みのある物言いに透かしを食らい、
清香は目に疑問をありありと浮かべ、咲夜を見つめる。
そんな清香を見返しながら、咲夜は金を払い、威勢よく言う。


「よし、行くか!」


「?・・・どこへですか?」


「清香の家へ!」


「へえ?!」


「話の続きはそれからさ。語るぜぇ〜!」
 清香は素っ頓狂な声を上げ、咲夜に引きずられていく。

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